ABOUT 泊園の人々

泊園書院では多くの若人が学んでいました。すでに東畡の時代、教えを受けた門人は三千人を超えていたといいます。開塾以後、東畡の大阪居住は40年にわたっており、平野含翠堂や豊岡藩・高松藩での講義聴講者を含めれば謦咳(けいがい)に接した門人がそれぐらいいても不思議ではありません。農工商の平民のほか武士、医師や僧侶・神官など身分や職業にかかわらず多くの人が学んでいました。

南岳のもとにはこれをしのぐ門人が集まり、明治中頃までにはすでに五千人に達していました。明治10年代の最盛期には、寄宿生と通学生を含めて三百数十名の塾生が一緒に学んでいたという記録があり、実に驚くべき数です。塾生にはもちろん女性もいました。

漢学塾といえば堅苦しく聞こえますが、質実剛健でありつつ自由闊達な学風を持つ泊園書院からはこの間、有為な人材が数多く育ちました。ここではそうした門人のうちの主な人物を紹介します。また友人・関係者もあわせて披露します。

このほか、南岳や黄坡は知人・門人の顕彰碑や墓誌を多数残しました。それらの碑文はおおむね漢文で書かれ、現在、大阪を中心として近畿、四国、中国地方、さらには九州や中部地方にまで広がっていて泊園の人脈の広さを今に伝えています。

  • 門人
  • 友人・関係者
  • 碑文
  • 120年あまり続いた泊園書院ではきわめて多くの門人が学び、巣立っていきました。ここでは伝記の明らかな人々につき、職業・職分別に分類して紹介します。

  • 泊園歴代院主が親しく交わった友人や関係者は多く、社会の各界に広がって泊園の人脈を形成しています。ここではその主な人物につき紹介します。

  • 泊園関係の碑⽂は東畡、南岳、⻩鵠、⻩坡が撰したものが⼤阪・近畿地方を中⼼に数多く残されていています。ほとんどは漢⽂で書かれ、泊園のネットワークをよく⽰すとともに、貴重な歴史の証⾔となっています。

    ここでは2012年9⽉に刊⾏した『泊園書院関係碑⽂調査報告書』(泊園記念会)のデータを中⼼に紹介していきます。

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