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漢学者。大分県宇佐の人、川合清丸の大道学館で学んだあと、明治30年(1897)、泊園書院で南岳に師事する。黄鵠の親友でもある。のち早稲田中学・豊山中学講師、大東文化学院の初代教務主任などを経て早稲田大学高等師範部教授。晩年は東京学芸大学書道科に出講するとともに、無窮会の理事・東洋文化研究所所長となった。
その蔵書は現在、財団法人無窮会の「如石文庫」として蔵される。黄鵠の南北朝正閏問題について記録した「鳴鶴録」(『泊園書院歴史資料集』所収)もある。