ABOUT 泊園書院とは

江戸時代後期の文政8年(1825)、繁都大阪に関西大学のルーツの一つとなる私塾――泊園書院が生まれました。四国高松出身の漢学者藤澤東畡(ふじさわ・とうがい)により開かれたこの学問所は、その子の南岳(なんがく)、南岳の子の黄鵠(こうこく)および黄坡(こうは)によって受け継がれ、隆盛をみました。とりわけ幕末から維新期にかけて名実ともに大阪最大にして最高の学問所として栄えます。

この「三世四代」の学統はさらに黄坡義弟の石濱純太郎によって近代的な東洋学を生み出しました。
江戸から明治・大正・昭和前期という、日本の近世・近代の激動期をくぐり抜けて続いた漢学塾はまれです。この間、泊園書院は政界・官界・実業界・教育界・ジャーナリズム・学術・文化・芸術などの分野に数多くの人材を輩出し、大阪の文化・教育と日本の近代化の発展に大きく貢献しました。また、そのぼう大な蔵書「泊園文庫」は戦後、関西大学に寄贈され、その人文学とアジア学の礎となりました。「泊園記念会」も関西大学東西学術研究所内に置かれて毎年記念講座を開き、好評を博しています。

泊園書院門人分布

明治10年代の最盛期には、寄宿生と通学生を含めて一度に三百数十名という学生が在籍し学んでいました。今でいえば大学の1学部にも相当する数です。この頃、泊園書院は名実ともに大阪最大規模・最高レベルの学校でした。

泊園書院門人分布
泊園書院門人分布
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大阪学問所マップ

江戸時代後期から幕末にかけて学問所(私塾と心学講舎)がどこにあったかを◯で示しています。1~4が泊園書院のあった場所です。詳しくは「泊園パンフレット」の6ページをご覧ください。

大阪学問所マップ
泊園書院門人分布
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泊園パンフレット

泊園記念会では関西大学創立130周年を記念して「泊園書院―なにわの学問所・関西大学のもう一つの源流―」を刊行いたしました。

泊園パンフレット