ABOUT 泊園の物語

長い歴史をもち、個性的な院主に率いられた泊園書院には多くのエピソードが伝わっています。

勤王思想の持ち主だった東畡のもとには吉田松陰が訪ねていますし、九州日田出身の漢詩人廣瀬旭荘と東畡は親しい関係にありました。東畡が琴の名手であったことも興味深いところです。

南岳は幕末の高松藩滅亡の危機を救った功労者であり、また明治期には東京大学の漢学教授就任を断わり大阪に残ったことでも知られます。通天閣や仁丹、愛珠幼稚園、寒霞渓を命名したのも南岳でした。

いわゆる南北朝正閏問題で世間を驚かせ、衆議院議員を辞職した黄鵠は石川啄木を泣かせます。また黄坡は漢詩や詩吟の世界と深いかかわりをもち、石濱純太郎は交遊の広さで際立っていました。黄坡の子で小説家の藤澤桓夫を援助したのは石濱であり、そのサロンは戦前から戦後にかけて、大阪文化の一つの中心であったといっても過言ではありません。

門人や知人・友人の中にもさまざまな逸話があります。ここではそうした泊園の物語に触れてみます。