泊園書院と閑谷学校

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閑谷学校講堂
(岡山県備前市。現在、講堂は国宝に指定されている)

岡山の閑谷学校(備前市閑谷)は江戸時代前期の好学の大名、池田光政により設立された学校で、庶民のための藩立学校としては日本で最も古い。

青年時代、閑谷学校に遊んだ東畡は、のちに同校教授の武元北林の墓碑文を書いている。また維新後の明治17年(1884年)、西薇山は閑谷黌として学校を再開するが、薇山の養父、西達三郎(号は後村)は東畡門人である。また南岳は薇山の還暦を祝う「華甲斎記」を撰し、「薇山西先生墓碑銘」を書いており、さらに黄坡は明治25年(1892)から2年間ほど閑谷学校に学ぶなど、閑谷学校は泊園書院との関係が深い。

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南岳「華甲斎記」稿本