森下「仁丹」と南岳

広島沼隈郡鞆町(福山市)出身の森下博(1869-1943)は明治17年(1884)、大志を抱き大阪に来て丁稚奉公を始める。のち淡路町に薬種商「森下南陽堂」を開き、同38年(1905)、常備薬「仁丹」を発売した。

この仁丹の名は、平素から敬服していた南岳および西村天囚の命名による。「仁義礼智信」という儒教最高の徳である「仁」が中国への輸出を考えていた森下の方針にも合致したのである。「大礼服マーク」などの積極的な広告戦略ともあいまって、仁丹は全国津々浦々に行きわたった。

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仁丹の大礼服マーク
(森下仁丹株式会社ホームページより)