門人>実業家
実業家。大坂の米穀商の生まれ。号は南渓、また磐舟。少年時代から南岳に師事し、成績抜群であった。のち府議会議員。大阪明治銀行取締役や浪速銀行頭取、阪南電気軌道株式会社取締役などを兼ね、大正2年(1913)に大阪電灯株式会社(関西電力の前身)の監査役として奔走した。その後貴族院議員。
懐徳堂の重建にも尽力し、大正2年(1913)、財団法人となった懐徳堂記念会の初代理事長をつとめる。また黄鵠三女の皎子を養女とした。著作に『東畡先生略伝』あり。『磐舟永田翁傳』はその伝記である。