下岡忠治(しもおか・ちゅうじ 1870-1925)

門人>政治家など

J57-0001.jpg下岡忠治
(三峰会編『三峰下岡忠治伝』,1930年)

官僚・政治家。南岳門人。摂津川辺郡広根村(兵庫県猪名川市)の酒造業の家に生まれる。明治16年(1883)以降、大阪の中学に通うかたわら泊園に学ぶ。第3高等中学を経て明治28年(1895)、帝国大学法科大学政治学科を卒業、高等文官試験に首席で及第、ついで内務省に入り、秋田県知事、農商務省農務局長、農商務次官、枢密院書記官を歴任。その後、衆議院議員となり、憲政会幹部として活躍した。大正13年(1924)、第4代朝鮮総督府政務総監となる。農務局長時代には南北朝正閏問題をめぐり桂太郎首相と黄鵠の間で折衝にあたった。

J57-0002.jpg下岡忠治
(同上)