南岳「華岡青洋墓誌銘」稿本
医師。華岡南洋の子。名は徳、のち準平。大坂生まれ。京都で吉益・佐井の二氏に学び、かつ1歳違いの積軒とともに東畡に師事して儒学を修めた。26歳で四つ橋に分家し開業。人となり温雅篤実、患者に親切で、治療を乞う者が門に満ちた。天下を驚かせた華岡家の外科医術により、積軒とともに「二華」の声名は日増しにあがったが、42歳で過労により死去。墓碑文は当時28歳の南岳が書いている。