安達清風の屋敷跡と頌徳碑(右上が清風。『奈義町の文化財』岡山県奈義町教育委員会、2003年)
武士、開拓者。因幡鳥取藩士。嘉永4年(1851)入塾。ついで江戸、および水戸で学ぶ。文武兼才で藩の声望を担い、神発流砲術教授、京都留守居をつとめ、藩主の側近として尊攘運動に参加するが、藩論と合わずに幽閉される。維新後、北海道開拓使を経て岡山県勝北郡初代郡長となり、日本原(津山市)の開拓に業績をあげた。その『安達清風日記』は幕末動乱の記録としてつとに有名である。