田中華城(たなか・かじょう 1825-1880)

門人>医師

J12-0001.jpg田中金峰『大阪繁昌詩』

医師・漢詩人。の人。名は内記。東畡に従学して刻苦奮励し、漢学をきわめた。のち漢方医学による熱心な治療と著述により、府下の一大医門をなした。また、長子の右馬三郎(金峰)は早熟の俊才で、15歳で医学寮を開いて診察にあたかたわら創作にはげみ、大坂の名所旧跡を詠んだ名著『大阪繁昌詩』130首を著わすが、文久2年(1862)、19歳の若さで死去した。金峰の墓碑銘は東畡が、華城の墓碑銘は南岳が書いている。