牧野謙次郎(まきの・けんじろう 1863-1937)

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J45-0001.jpg牧野謙次郎
(牧野謙次郎『日本漢学史』世界堂書店,1938年)

漢学者・教育者。讃岐高松(香川県)の人。牧野黙庵の孫で、牧野松村の子。号は藻洲。明治10年(1877)泊園書院に入塾して1年近く学ぶ。黙庵の娘の仙が南岳の妻なので、謙次郎は南岳の甥にあたり、黄鵠・黄坡にとっては従兄になる。謙次郎は大隈重信の知遇を得て「早稲田漢学」の中心人物となった。黄鵠の南北朝正閏問題提唱のブレーンでもある。

昭和4年(1929)以後、早稲田大学高等師範部長となり、同12年に病没するまでその任にあった。大東文化学院の設立にもかかわる。彼が中心となって編纂、出版した『先哲遺著 漢籍国字解全書』は戦前のベストセラー。東京大学教授でアジア社会学の先駆者、牧野巽はその子である。