鹿田静七(しかた・せいしち 1845-1905)

友人・関係者

J34-0002.jpg『東畡先生文集』奥付。発行者として鹿田静七の名が見える。

大阪の古書籍商「松雲堂」の二代目主人。号は古丼。商売のかたわら、慶応4年(1868閏4月、大阪で初めての新聞『内外新聞』を刊行するが、新聞社の建物はもとの泊園書院であった。上方文化における静七最大の貢献は散逸しつつある古書・資料の発掘と収集に力を注いだことで、明治34年から大阪和書会を興し、同業者を集めて入札会を開催している。こうした展示会には南岳も親しく参加している。静七は明治17年(1881)、『東畡先生文集』全10巻の刊行にも一役かった。

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