山田喜之助(やまだ・きのすけ 1859-1913)

門人>法律家

弁護士、政治家。大坂瓦町の砂糖商に生まれる。南岳に師事し、明治9年(1876)上京、同15年東京大学法科大学を卒業。明治18年(1885)7月、英吉利法律学校(現中央大学)の創立者の一人となる。のち司法省に入り、司法書記、大審院判事に進むが、法典編纂の意見対立から辞任。その後、東京弁護士会長、衆議院書記官長を経て衆議院議員となり、司法次官をつとめる。三男山田作之助は最高裁判事。