中谷雲漢『雲漢集』
漢学者、東畡門人。北河内(大阪)の人。名は輝、字は南明、別号は龍寿軒。弘化3年(1846)、東畡の推挙により尼崎藩の儒官をつとめ、明治2年、藩校正業館の督学となって指導力を発揮した。東畡没後には南岳を教導している。著作に『雲漢集』3巻がある。その墓(寿蔵碑)は齢延寺の東畡・南岳の墓に寄り添って建てられている。