佐々原梅操(ささはら・ばいそう 1834-1855)

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J21-0001.jpg東畡「梅操居士墓碣銘」

儒学者。大坂伏見町の商家に生まれる。7歳で漢詩文をつづるとともに、草書をよくし、神童として周囲を驚かせた。春田壺処(春田横塘の養子)に入門、ついで東畡に学ぶ。13歳で江戸の佐藤一斎に師事し、3年後、大坂にもどる。大坂町奉行川路聖謨はその才能に惚れこみ、帰任の際に梅操を江戸に伴い、浅草に開塾して師弟を教授させた。才華を縦横に見せたが、22歳、浅草で死去。著作に『大日本通史』15巻、『皇朝資治通鑑長編』3巻、『詩文和歌合集』15巻など。遺髪を埋めた墓が大阪北野善通寺にあり、その墓碑文は東畡が撰している。

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