友人・関係者
漢学者。江戸の生まれ。名は重礼。幕末に海保漁村、安積艮斎に学び、昌平黌で塩谷宕陰の影響を受けた。維新後、家塾「雙桂学舎」を開き、明治10年(1877)に東京大学教授となって漢学の近代化を促した。明治初期、子の鈞一を南岳のもとで学ばせるなど、南岳とはつとに親交があり、明治26年(1893)9月、南岳を東京帝国大学漢学科教授に招聘しようとしたが、南岳が固辞したため実現しなかった。著作に『篁村遺稿』など。
漢学者。江戸の生まれ。名は重礼。幕末に海保漁村、安積艮斎に学び、昌平黌で塩谷宕陰の影響を受けた。維新後、家塾「雙桂学舎」を開き、明治10年(1877)に東京大学教授となって漢学の近代化を促した。明治初期、子の鈞一を南岳のもとで学ばせるなど、南岳とはつとに親交があり、明治26年(1893)9月、南岳を東京帝国大学漢学科教授に招聘しようとしたが、南岳が固辞したため実現しなかった。著作に『篁村遺稿』など。