豊田宇左衛門(とよだ・うざえもん 1852-1926)

門人>実業家

J38-0001.jpg泊園書院の建物はもと豊田の経営する修斉小学校であった。

金融業者。大坂生まれ。幼少時代から儒学を好み、商いを仁義の道と信じた。博愛慈善事業を行ない、朝日明神宮(此花区)や日蓮宗境智院(東大阪市日下町)の建立に力を貸すとともに、修身斉家を旨とする修斉小学校を竹屋町に開いた。

明治44年(1911)、竹屋町に設けられた泊園書院分院(黄坡主宰)は旧修斉小学校の建物を用いたもので、南岳に心服していた豊田はこれを無償で提供した。道明寺天満宮における釈奠会の有力メンバーでもある。明治36年(1903)頃には南岳の講義を聞くため備後町に「尚徳会」を設けた。「尚徳会」はその後、黄坡により昭和時代まで維持された。