岡 鹿門(おか・ろくもん 1833-1914)

友人・関係者

J19-0004.jpg岡鹿門『在臆話記』。本文中に東畡に関する記述が見える。
(『随筆百花苑』第1巻,中央公論社,1980年)

漢学者。名は千仭(せんじん)仙台藩士。昌平黌で学んだあと、文久元年(1861)年、大阪で松本奎堂、松林飯山と双松岡塾を開いて尊王攘夷を唱え、志士と交流する。この時、東畡は20歳の南岳の教育を彼らに依頼している。鹿門は戊辰戦争に際して一時投獄されるが、明治3年(1870)東京に出て大学の助教、東京図書館長となる。その著『在臆話記』は幕末の泊園書院の様子を伝える貴重な記録である。他に有名な『尊攘紀事』、中国各地を遊歴した記録『観光紀游』がある。