堀田省軒(ほった・せいけん 1809-1880)

門人>教育・研究者

漢学者。出石藩士(兵庫県豊岡市)。名は反爾。本姓は本間。武技に長じ、性格豪邁であった。天保5年(1834)入塾、研鑽最も勤めるとともに、雨森精斎とともに泊園塾の塾規を作る。のち藩校「弘道館」講師となり、ついで藩の財政をつかさどった。明治元年、権大参事、ついで正大参事となり、藩政に従事すること30年に及んだ。