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関大アーカイブズ「関大の女子学生の移り変わり」

  今では多くの女子学生が通う関大キャンパスですが、昔は女子の入学が認められていなかった時代もありました。学内広報誌『関⻄⼤学通信』のコンテンツ「なるほど・ザ・関⼤」のアーカイブのなかからお届けする今回のエピソードは、関西大学の女子学生の変遷です。

  1923(大正12)年夏、学外の社会人を対象に語学講習会が開催されました。「男女を問わず入会を許し、女子聴講者には特別席を設け、希望者が多いときは別に女子部を置く」として受講生を募ったため、昼間・夜間合わせて539人の受講申し込みがあり、そのうち女子聴講生は54人を数えました。このような講座への女性の参加が後の女子学生を受け入れる1つのきっかけとなりました。

  その年の10月、関西大学初の女子学生・北村兼子さんが聴講生として入学します。しかし、先駆者である北村さんに続いた女子聴講生は多く見積もっても10人に満たなかったようです。また、夜間の専門部でも女子学生第1号となった北村さんですが、その後7人ほどの女性が専門部で学ぶものの、昭和初期で途絶えてしまいます。これは、「女に学歴はいらない」という当時の社会的風潮が大きな理由でした。北村さんは在学中から朝日新聞社の記者としても活躍し、記者の傍ら文筆活動を続けていました。女性の地位向上を目指し、海外での婦人会議に日本代表として出席、また飛行学校でパイロットの資格を取るなど華々しく活動するも、27歳の若さで亡くなりました。

  戦後、教育制度が改正され、関西大学でも1946(昭和21)年から女性の入学が正式に認められます。その結果、法学部に1人、次の年には予科、専門部にも女子学生が入学しました。それでも1952(昭和27)年、新制大学初の卒業生のうち女子学生は19人で、当時女子学生はまだまだ珍しい存在でした。キャンパスで女子学生の姿が目立ってくるのは昭和40年代後半からでした。その後も女子入学者は増え続け、毎年多くの女子学生が社会へと羽ばたき、さまざまな分野で活躍しています。黎明期、わずか10人ほどしか存在しなかった女子学生は、今や1万人を超え、本学は日本有数の女子学生が多い大学となりました。

学内広報誌『関西大学通信』425号

女子学生の移り変わり
第1回夏期語学講習会の参加者(1923年)

女子学生の移り変わり
男子学生に交じり受講する北村さん

女子学生の移り変わり
パイロット服姿の北村さん(日本飛行学校にて)

女子学生の移り変わり
女子学生と卒業生たちの親睦の集い(1952年)

2020/06/29/ 10:00 UP

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