関西大学 KANSAI UNIVERSITY

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織田作之助賞受賞・岸政彦さん。「設計図」をつくらない小説家

パソコンの前 透明な自分が動き出す
/第 38 回織田作之助賞受賞 岸 政彦さん(大学院社会学研究科1995年修了)

 生活史や沖縄などをテーマとする社会学者で、大阪を描く小説家としてもデビューを飾った岸政彦さん。著書『断片的なものの社会学』(朝日出版社)で「紀伊國屋じんぶん大賞 2016」大賞の受賞をはじめ、最初の小説『ビニール傘』(新潮社)が芥川龍之介賞の候補となり、2021年に発表した『リリアン』(新潮社)で「第38回織田作之助賞」に輝いた。そんな岸さんの研究と創作活動の底流には、関西大学に入学した1987年に始まる大阪での生活と、そこで出会った人々の姿がある。

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社会学者かミュージシャンに

 『リリアン』は大阪の下町で暮らすジャズベーシストの男性と年上の女性の物語。音楽が流れる中で、2人のとりとめのない会話が繰り返され、その断片がやがてつながり、お互いの抱える苦い過去が像を結び始める。物語の中で大阪の街の姿や、そこに暮らす人の息遣いが生き生きと描かれている。


 岸さんは「小説家になりたいと思ったことはない」と言う。
 高校は進学校だったが、受験対策には手を染めなかった。英語の長文を翻訳したり、世界史や東洋史の本を読んだりするのが好きで、高校の3年間はベーシストとしてロックバンドの活動に明け暮れた。


 実家を離れて一人で暮らし、将来は社会学者かミュージシャンになる。そんな目標を持って大学受験に臨んだ。関西や関東の社会学部がある大学を次々と受け、合格した大学の一つが関大だった。
 受験の当日、なぜか隣の席の受験生と意気投合。試験が終わると2人で梅田の阪急東通商店街に繰り出した。別の日には、立ち寄った喫茶店で店員に地図を見せ、「この大学までどうやって行ったらいい?」と尋ねると、自分の周りに客が集まりだし、「御堂筋線がいい」「いや堺筋線だ」と、にぎやかな会議が始まった。
 人と人との間にあるハードルが低い大阪という土地に引き寄せられ、関大に合格した時点で、「俺はずっと大阪にいる」と決めた。

関大時代は「奇跡の4年間」

 新大阪の不動産会社で「関大に近い」と紹介され、阪急上新庄駅(大阪市東淀川区)から徒歩25分(!)のワンルームマンションに住み始めた。お金はないし将来の確かな展望もない。不安だけどなぜか楽しい「奇跡の4年間」の始まりだ。


 音楽ではずっとジャズが好き。けれど、『リリアン』の主人公と同様、「自分は耳が悪い。音感がない」という自覚があった。ジャズは自分には難しいと諦めていたが、関大の軽音楽部に入ると、多くの部員がジャズを演奏していた。早速ローンでウッドベースを購入し、仲間4人で軽音楽部を飛び出して「Jazz研究会」を立ち上げた。今も活動が続く関大Jazz研の名誉ある創設メンバーだ。
 社会学部の学舎は正門の外にある。正門をくぐるのは図書館にこもる時ぐらい。Jazz研でお金を出し合って借りたサークルボックスや酒場で多くの時間を過ごした。


 上新庄界隈では「BLUE CITY」というジャズ喫茶に通った。「ウッドベースがやりたい」と言うと、先生として紹介されたのは、現在もトップ奏者として活躍する北川潔さんだった。北川さんがニューヨークへ渡るまでの約1年、遊び仲間として多くの時間を過ごした。北川さんの紹介で、ジャズシンガーの綾戸智恵(当時は綾戸智絵)さんとも知り合い、音楽に関して多くの教えを得たと言う。
 ジャズの演奏では2回生の頃から北新地や桜橋のジャズクラブでギャラをもらう「プロ」となり、3回生になる頃には「ハコ」(レギュラー出演)の仕事も貰えるようになった。『リリアン』の音楽シーンの描写は、当時の経験がもとになっている。


 一方、社会学者になるための勉強も続けた。2年回り道して関西大学大学院の前期課程に入り、大阪市立大学大学院の後期課程に行く前にさらに2年回り道した。この間、日雇いの仕事で生計を立て、「仮枠の解体をしてました。ある大きな病院の4階フロアは自分が作りました」と笑う。

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ストーリーを考えたことはない

 結局、ミュージシャンにはなれなかった。「こんなに練習しているのに、全然弾けるようにならない。頑張っても苦痛なだけ」と口にした時、ある人の言葉が気になった。
 「それはたぶん、練習してないねん。うまくなる人は長時間の練習でも、息吸って吐くぐらいの感覚でやってんねん」
 岸さんがずっと「息を吸って吐く」感覚で続けていたのは、音楽とは別のものだった。記憶をたどれば幼稚園の頃から、手元にある紙に文章を書きつけていた。小学校4年生の時、遠足の思い出を綴る作文で、朝起きてからバスに乗るまでだけで原稿用紙50枚になった。先生から「締め切りが過ぎたから早く提出しなさい」と 怒られ、バスに乗った後は2枚で終わったと言う。


 インターネットが普及し始めた大学院生の頃には、自らHTMLを記述して、ブログのようなサイトを立ち上げた。日記を次々にアップすると多くの読者が訪れた。2017年に出版した最初の小説『ビニール傘』は、その日記の一読者が後に新潮社の編集者となり、「小説を書きませんか」と提案してきたのが発端だった。
 ストーリーはどうやって考えるのだろう? 取材で質問されることも多いが、岸さんは「パソコンを開けたら、指が動くんです。ストーリーとか考えたこともない」と答える。設計図はつくらない。推敲もしない。「ジャズやる時もね、次にどの音出すかは自分でも分からないんです」
 考えるのではなく、頭の中に浮かぶ「何か」を書き写す。自らは透明になって、そこにある場面を読む人に伝える媒介をする。


 最近、綾戸智恵さんにこんなことを言われた。「岸君は音楽ダメやろ? 音楽が好き過ぎて、音を出すたびに一喜一憂してるやろ? 音は出したら捨てなあかん。弾いてる時は自分を忘れて、音にならなあかん」
 岸さんにとって書くという営みが、綾戸さんの言う「音になる」ことなのかもしれない。

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「関西大学Jazz研究会」の先輩後輩、平野達也トリオによるジャズセッションの様子。
(左から)平野達也さん(pf)/岸政彦さん(wb)/弦牧潔さん(ds)

大阪の仕事場で沖縄戦の本を書く

 次の小説のテーマは決まっている。二つあって、そのうち一つは大阪市を横切る「中央大通」だという。「一番小説っぽくない、散歩していてもぜんぜん楽しくない場所」だが、そこで営まれる、ありきたりではなく、嘘のないリアルな人生を描きたいと思っている。


 ただ、今は社会学者としての仕事で手いっぱいだ。学会を立ち上げ、出版社の大きな企画を任され、大阪の生活史の本も書くことになった。研究テーマの軸に据える沖縄に関しては、沖縄戦に関わった65人の聴き取り調査結果をストックしている。「沖縄戦の本が書けたら、社会学者としてはやり切った」。今は、大学の研究室から荷物を移し、大阪の自宅付近で借りたマンションの1室を仕事場にして書き続ける。


 「大阪でも沖縄でも東京でも、本当にそこで生きている人の姿を書きたい。かっこつけたくないし、何かをつくりたくない。人を驚かせようとか喜ばせようとも思わない。ただ書き写すだけ」
 それが岸さんにとっての小説家と社会学者の共通項だ。


出典:関西大学ニューズレター『Reed』70号(9月30日発行)
岸 政彦 ─きし まさひこ
1967年生まれ。1991年関西大学社会学部卒業。95年関西大学大学院社会学研究科博士課程前期課程修了。 2002年大阪市立大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。龍谷大学社会学部教員を経て17年から立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『図書室』(新潮社)など。