KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

祖父母の笑顔がくれた勇気を、次の誰かへ
~関大院生が挑む大阪マラソン~

文化・スポーツ

 関西大学は2011年の第1回大会から大阪マラソンに協賛している。2026年の第14回大会は、教職員と学生合わせて40人が特別ランナーとして出場する。ランナーにも家族にも、沿道で声援を送る人々にも、それぞれの物語がある。大阪マラソンを目前に控え、関大ランナーに選ばれた学生に大会への思いを語ってもらった。

勇気のバトンを次の笑顔へつなげる

 初めて大阪マラソンに挑む大学院修士課程1年の浦濱塁さん(23)は、「どれだけつらくても笑顔を絶やさずに走りたい」と思いを込める。その決意の裏には、大好きだった祖父母の存在があった。

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浦濱塁さん

幼い頃から親しんだ大阪マラソン

 浦濱さんにとって大阪マラソンは、幼い頃からとても身近な存在だった。以前住んでいた マンションは、国道26号線のコース沿道にあり、第1回大会から毎年のように1歳下の妹と一緒に階下に降りては、仮装しているランナーに声をかけ、ハイタッチすることが恒例の楽しみだった。いつか自分も走ってみたいという漠然とした憧れはあったものの、当時は毎年やってくる行事のひとつに過ぎなかった。

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大阪マラソン2025の様子

いつも見守ってくれた祖父母

 小学校から高校まで浦濱さんは、サッカー部に所属し走力を鍛えた。家の近くのサッカー場で練習をしていると、よく祖父母が見に来てくれた。「散歩がてら見に行くわ」と言いながら、浦濱さんが走り回る姿を長い間じっと眺めていた。運動する姿をいつも見てくれていた記憶が、今も鮮明に残っている。

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おじいさま、おばあさまさまとともに

病と闘う祖父を励ましたランナー

 そんな大好きな祖父が2015年、脳梗塞で倒れた。入院生活が続くなか、それでも祖母は「絶対に家に戻す」と決してあきらめず、看病を続けた。 退院のめどが立たない中、自宅を介護用に改装して、祖父の帰りを待った。看護師も驚く祖母の強い意思が支えとなり入院から約1年後、ついに祖父は退院を果たした。
 2016年の秋、実家の改装が終わるまで祖父は浦濱さんと同じマンションで過ごした。当時、大阪マラソンは秋の恒例行事だった。(2021年から2月開催に)。
 まもなく迎えた大阪マラソン当日、車椅子と酸素ボンベが欠かせない祖父を気分転換になればと家族で外に連れ出し、沿道に降りた。いつものようにランナーを応援していると、突然一人の男性ランナーが祖父のそばに寄ってきて、「頑張って」と声をかけた。
 びっくりした。ランナーの方から声をかけられたのは初めてだった。普段表情を変えない祖父が、うっすらと涙を浮かべ笑顔を見せた。その姿を見て浦濱さんは胸が熱くなった。
 それからほどなく祖父は他界。献身的に祖父に寄り添った祖母は3年前に亡くなった。

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当時のことを話す浦濱さん

日記に残っていた"あの日"の記憶。その瞬間に決めた「自分も走る」

 祖母の遺品整理をしているとき、祖母が毎日つけていた日記帳を見つけた。ふと、大阪マラソの祖父の体験を思い出し、その頃のページを指でたどった。日記には、ランナーに励まされた出来事が書き留められていた。
 「じいじ、頑張ろうって言われたね」。
 祖母は、よっぽどうれしかったのだろう。語りかけるような優しい言葉だった。

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15歳の時、旅行先の青森県奥入瀬渓流でおばあさまと

 自分も走ってみたい―。浦濱さんがフルマラソン出場を決意した瞬間だった。その強い思いが大学側にも伝わり、ようやく今年、関大ランナーとして大阪マラソンに出ることが決まった。

勇気のバトンを次へ

 「つらい顔は見せずに笑顔で完走したい。もし余裕があれば、あの時祖父を勇気づけてくれたランナーのように、誰かを励ます走りをしたい」。
 社会人として歩み始めた同級生と比べ、まだ学生という立場にある自分に焦りを感じることもあるという。
 関大生として学び挑戦する姿を見てもらうことで、お世話になった人や大好きな大阪の街に少しでも力を届けたい。そんな思いが走る原動力にもなっている。
 「祖父に声をかけてくれたランナーのように、自分も誰かを笑顔にできたら」

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 あの日、祖父に届けられた"頑張って"という声。その声が生んだ笑顔が、今は浦濱さんの背中を押している。あの日の勇気を、今度は自分が誰かにつなげたい。