お知らせ

【執行部リレーコラム】DX時代に手書きにこだわること

2021.05.31

副学長 藤田高夫

 昨今の新聞紙上などでは、DXという言葉を目にしない日はない。DXすなわちDigital Transformationとは、要するに「デジタルを活用した変革」ということで、15年以上前からあった言葉のようだが、日本では2018年に経済産業省が「デジタルトランスフォーメーションを推進するためのガイドライン」をとりまとめたあたりから一般化したようだ。
 企業戦略の趣の強かったDX推進は、コロナ禍でのさまざまなオンライン化の波の中で、大学教育にも及んできた。いくつかの大学はそれぞれ「DX推進計画」を策定し、WEB上で公開しているし、この流れを後押しするように、文部科学省も「デジタルを活用した大学・高専教育高度化プラン(通称Plus-DX)」という補助事業を本年1月に公募した。私たち関西大学は、「学修者本位の教育の実現」「学びの質の向上」という二つのタイプの取り組みに申請し、幸いに両方とも審査を通過して採択された。私自身も後者の取り組みの実施責任者として「デジタルを活用した大学教育の高度化」に邁進していかねばならない。
 とはいえ、というか、にもかかわらず、というか、これから書くことは、それとは逆の話である。実は、私はデジタルの時代であっても「手書き」へのこだわりを棄てられないタイプの人間である。それならさぞ達筆で、と思われるかもしれないが、これも逆。小学生時代に書道の段持ちだったことを信じてもらえないほどの悪筆で、自分で書いた字を自分で読めないことが頻繁にある。
 だからこそ、なのだろう。きれいな手書きへの強い羨望をいつもいだいている。だからといってきれいに書けるわけでもないので、せめて書くスタイルだけでも凛としてありたいと願い、その結果、「道具立て」にこだわることになった。手書きの道具となれば、主人公はやはり万年筆ということになり、引き出しの中には、LAMYのサファリ(商品名です)のようなゴシゴシ書いてもへこたれないタフなものから、モンブランのマイスターシュテユックのような箱入りの高級品まで、20本ほどの万年筆が並んでいる。
 そうなると、インクもこだわりたくなるわけで、いろいろ試しているうちに、ブルーブラックだけで7種類のインクが引き出しに居座っている。次には何に書くか、つまりノートにも当然のこだわりが出てきて、有名なモレスキンは裏写りしてダメだとか、販売中止になったマルマンのBoston Noteは傑作だったとか、あれこれいいながら新しいノートを物色してまわるのが楽しくて仕方がないのである。
 こういう話を学生諸君にしても、実感をもって受けとめてはもらえない。そこであえてこう言うことにしている。「いいかね、だまされたと思って奮発して1000円くらいの高級ノートを1冊買いなさい。万年筆でなくてもいいけど、お気に入りのペンを用意しなさい。机の上の余計なものをきれいに整理して、ノートを広げてごらん。明窓浄机、背筋がピンと伸びて、さあ書こうという気分になること請け合いだよ。」「先生、道具はそろえました。でも何を書いたらいいんですか?」そこまでは責任持てません。