芝井の目

修士、専門職学位、博士の学位を授与される皆さんに(学長式辞)

2020.03.21

 今回、関西大学で修士号を取得された550名、法務博士、会計学専門職、臨床心理専門職などの専門職学位を取得された69名、そして博士課程後期課程を修了して博士号を取得された41名、論文博士を授与された5名、あわせて665名の皆さん、まことにおめでとうございます。
 
 皆さんは、大学の学部4年間を終えた後、さらに大学院に進学して学問研究の深さを経験し、あるいはまた、法律、会計、臨床心理の高度専門職に関わる学びを経験されました。また一方、博士号を授与された方は、さらに博士後期課程に進んで研究成果を挙げられるか、あるいはご自身の長い研究の成果をまとめ上げて学位請求論文を提出して、今回博士号を手にされました。そうした学びの経験を振り返って、皆さんが「手にしたもの」と、もしかしたらを「手にしなかったもの」を、この機会を使って、ともに確認しておきたいと思います。というのは、人間という存在は、とくに物事の渦中にある人には、自分の姿が客観的には見えにくいという傾きがあるからです。自らを冷静かつ正当に客観的に評価することが、実際を経験した当事者にはかえって難しいからです。
 ところで、皆さんは関西大学でかけがえのない人と出会えたでしょうか。いうまでもなく、人との出会いは、あなた個人の魂の成長にとって、あなたの今後の人生の歩みにとって大変大事なことです。他者との交流・対話は、あなたの人生を豊かに彩るだけではなく、あなたの考え、生き方、感じ方、そして価値観そのものにまで大きく影響し、あなた自身の一生を左右します。
 人との出会いの意味を考えるとき、ドイツの哲学者にして宗教思想家のマルティン・ブーバーの考えが役に立つように思われます。今から100年近く前の1923年に、マルティン・ブーバーは、『我と汝』Ich und Du、つまり平明な表現をとれば『わたしとあなた』というタイトルの作品を発表しました。ブーバーは、私という個人と他者との関係に関して、この世界にはこの2つの根源語による2つの秩序が存在すると考えます。その一つは<わたし−あなた>Ich−Duの関係、そしてもう一つは<わたし−それ>Ich−Esの関係です。「わたしーあなた」という関係は、われわれによって対象化されていない根源的、直接的、人格的関係を意味しています。これにたいして、「わたし−それ」は、われわれによって対象化され、分断・規定されたものであると述べます。当然ブーバーは、<わたし−あなた>Ich−Duの関係こそ、人間の営みの中から生まれ育まれる人と人との人格的な結びつきであり、この意味において、まことに人間らしいものであると考えます。
 そしてブーバーは、この人間らしい関係の形成における「出会い」や「対話」の大切さに論を進めます。<わたし>と<あなた>の間にはいかなる観念、計画、幻想も成り立たない。<わたし>と<あなた>の間には、いかなる目的も、欲望も、予想も成り立たない。すべての手段が破れるところにのみ、<わたし>と<あなた>の「出合い」が起こると述べました。自分以外の他者を、私の目的実現のための単なる手段としないところに、「出合い」と「対話」が生じる。そして真の人生とは、<わたし>と<あなた>との「出合い」と「対話」のある人生だと主張しました。
 ブーバーは人と人の関係を、今の世界に取り戻したいと考えているのです。いやそれだけではなく、彼は宗教哲学者の立場から、神と人との関係までもこの世に取り戻したいと考えているわけですが、その点はここでは触れないことにします。さらにブーバーは、大変面白いことを指摘しています。<わたし−それ>の関係においては、たいてい私自身の変容は起こらないが、<わたし−あなた>の関係においては、私自身のあり方が大きく変容することが普通に見られると捉えます。そしてこの変容は、<わたし>と<あなた>との「出合い」と「対話」を通じて生まれるというのです。
 ここでお尋ねいたしましょう。ブーバーは、この世界にはこの2つの根源語による2つの秩序が存在すると考えました。その一つは<わたし−あなた>Ich−Duの関係、そしてもう一つは<わたし−それ>Ich−Esの関係でしたね。さて、あなたはこれから、2つの根源語による2つの秩序のどちらに生きていこうとしますか。<わたし−あなた>Ich−Duの関係でしょうか、それとも<わたし−それ>Ich−Esの関係でしょうか。どうぞこの機会に、時間をかけて自分の胸に深く問うてください。
 さらに、繰り返してお尋ねいたします。皆さんは関西大学でかけがいのない人と出会えたでしょうか。人との出会いは、あなた個人の魂の成長の糧です。かけがいのない人との交流・対話は、あなたの考え、生き方、感じ方、そして価値観そのものにまで大きく影響し、あなた自身の一生を左右します。あなたがこの学園を離れるにあたり、これまでの人との出会いと対話の意味を振り返ってみてください。ここで皆さんが「手にしたもの」と、もしかしたらを「手にしなかったもの」を、自分の心のなかで確認しておきましょう。

 皆さんはこれまで、学業や研究を通じて、「専門知識」「広い学識」などの点で、優れた結果を発揮されました。しかし、研究の高みというものは、その頂が容易に見えるものではありません。また、専門職の学識は数年間の学びによってたやすく獲得できるようなものではありません。あなたの人間としての真価は、実はすべてが、これからにかかっています。それゆえに私は、皆さんのさらなる研究の発展を祈るとともに、さらに一人の人間としての人格の向上を期待しております。どうぞ、関西大学で学んだことに誇りを持ち、未来の社会を切り拓く人になってください。
 本日は、まことにおめでとうございました。

2020年3月21日

                         関西大学学長   芝井 敬司


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