KANSAI UNIVERSITY

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【執行部リレーコラム】フランス料理雑感

2019.03.22

 副学長 吉田 宗弘

 先日、KU-ORCAS研究会主催の「近代東アジアにおける西洋料理の伝播と受容」という講演会に出席しました。私自身が本学共通教養科目において全学部学生を対象に「食を知る」という講義を行なっていることから、面白く拝聴させていただきました。その中で、とくに八木尚子先生(辻調グループ辻静雄料理研究所副所長)による「19世紀ヨーロッパにおけるフランス料理とその日本への影響について」という講演からは、多くの有意義な知見を得ました。八木先生は、まず14世紀にフランス王朝に仕えたタイユヴァン(Taillevent、別名ギヨーム・ティレル(Guillaume Tirel)、1310〜1395)と彼が著したル・ヴィヤンディエ(Le Viandier)という料理書を紹介されました。タイユヴァンが単純な中世の料理を少しずつ洗練することでフランス料理を整え、それが17世紀にルイ14世のもとでフランス宮廷料理として完成し、料理界におけるフランスの覇権が確立したということでした。
 一方、TVや雑誌では、フランス料理を華やかなものに一変させた出来事として、1533年にフィレンツェのメディチ家からアンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis、1519〜1589)が、当時のトスカーナ料理をフランス貴族社会に導入したことが取り上げられます。小生も「食を知る」の講義の中で、フランス料理成立のエポックとしてカトリーヌのことを大きく紹介していましたので、八木先生にこの点を尋ねてみました。八木先生は慎重に言葉を選びながら、「カトリーヌは、たしかにナプキン、ナイフ、フォークといった食事のマナー、あるいはシャーベットなどは紹介したようですが、食事の根幹となる主要な食材や調理法はそれ以前からフランスに存在していました。」と述べ、さらに、「当時はイタリアのほうが文化的に進んでおり、フランスが一種の憧れから、イタリアの文化を積極的に取り入れたことは事実です。」と答えられました。あらためてよく調べてみますと、料理を含めてフランスがイタリアから様々な影響を受けたことのすべてをカトリーヌに集約する傾向が一方にあり、それに対して、フランス料理の研究者の間ではカトリーヌの影響についてむしろ否定的なものが多いということが理解できました。
 次年度の講義ではフランス料理の成立に関してこれまで述べてきたことを修正しないといけません。にわか勉強には特定の単純な学説に飛びつくリスクがあることをあらためて思い知りました。八木先生が慎重に言葉を選んでおられたことは、小生が自身の専門領域である栄養学分野での質問に対して断定的な回答を控えてきたことに相通じると感じました。生物の行動や社会現象を単純に説明することは困難であり、知れば知るほど奥が深く、世間が求める単純な答えからは遠ざかっていくように思います。学界での評価が低いにも関わらず、マスコミ受けする研究者が存在するのは、彼らが、不勉強なのか確信犯なのかはわかりませんが、世間の求める単純な回答を行うからでしょう。世間に流布された単純な学説を訂正する作業は骨が折れますが、自身が勉強してきたことを正しく世間に伝えることは研究者の責務だといえます。



現在のパリのビストロ料理
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