KANSAI UNIVERSITY

大学執行部リレーコラム

「権利の概念史シリーズ第1回 『権利』の古典的意味と近代的意味」 (市原 靖久)

2010.11.29

 専門用語であるとともに、一般的にも用いられる「権利」。このことばを用いて、人は、自己または他者の要求が正当・・であること、当然・・であることを主張しようとする。だが、「権利」とはそもそもどういう意味なのか。3回シリーズで、漢語「権利」とその被翻訳語である西洋諸語のルーツをたどってみる。

 「権利」という漢語自体は中国の古典に散見する。漢和辞典を引いてみると『荀子』や『史記』にその例が見られることがわかる。しかし、その意味は、現在の「権利」の意味とはずいぶん違っている。

   『荀子』巻第一 勧学篇第一  是故権利不能傾也、群衆不能移也……。
    是の故に権利も傾くること能わず、群衆も移すこと能わず……。
    こうなると、〔もはや〕権勢利欲によっても傾けることができず、
    群衆の威力によっても移すことができず……。
      (金谷治訳『荀子(上)』〔岩波文庫〕による)

   『史記』鄭世家 第十二 賛  大史公曰、語有之以権利合者、権利尽而交疎。
    大史公曰く、語に之れ有り、権利を以て合ふ者は、権利尽くれば交わり疎し。
    大史公曰く、故人のことばに、「権勢と利益を追うて集まってくる者は、
    権勢がうつり利益がなくなったときには、親しみがうすくなる」とある。
      (小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記世家(中)』〔岩波文庫〕による)

 中国の古典に見える「権利」は「権勢と利益」という意味であって、現在の「権利」とは違う意味で使われている(現在の日本語では「利権」が近いかもしれない)。それでは、現在のような意味での「権利」は、いつ頃から、また、どこで使われるようになったのか。いつ頃からかということに対する答えは、すぐ後でみるように、近代、厳密にいうと19世紀後半ということでほぼ間違いがないと思われる(したがって、以後、この意味での「権利」を“近代的「権利」”と表現することにする)。しかし、どこで使われるようになったのかについては、やや複雑な経緯がある。

 かつて、鈴木修次氏は、近代的「権利」は明治の日本人がrightの訳語として作った「新漢語」すなわち日本語であるとし、これが康有為(1858−1927)や梁啓超(1873−1929)らによって清朝末期の中国にもたらされ、漢字文化圏社会に広く普及するに至ったという説明をした(『日本漢語と中国―漢字文化圏の近代化―』中公新書、1981年)。そして、鈴木氏は、日本における近代的「権利」の初見(つまりは漢字文化圏社会における初見)として、加藤弘之の『立憲政体略』(初版1868年)における使用例をあげた。

   『立憲政体略』国民公私二権
    是故ニ其臣民タル者ノ身、自ラ権利ノ存スルアリ。権利ニ二類アリ、
    一ヲ私権ト称シ、二ヲ公権ト称ス。……
    (国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」で本文画像を見ることができる。)

 しかし、その後の研究によって、現在、次のようなことが知られるようになっている。
(1) 日本における近代的「権利」の使用例としては、「権」という一語を使っている例ではあるが、ヒッセリング著・津田真道(真一郎)訳『泰西国法論』(初版1866年)の「凡例」における用例が先にあり(上記「近代デジタルライブラリー」で後年の版の本文画像を見ることができる)、そこでは、「ドロワ」(フランス語のdroit)、「ライト」(英語のright)、「レグト」(オランダ語のregt)の訳語として「権」が使われている。
(2) 英語right の訳語として「権利」や「権」を使う例は、しかし、中国(清)において出版された『万国公法』(1864年11月または1865年1月)にすでにみられ、この用法が幕末・維新期の日本に伝わったと考えられる。

 『万国公法』は、アメリカの法律家・外交官ヘンリー・ホイートン(Henry Wheaton, 1785-1848)によって書かれた国際法入門書であるElements of International Law(初版1836年)を、在清のアメリカ人プロテスタント宣教師ウィリアム・マーティン(William Martin, 1827-1916)〔中国名:丁韙良〕が中国人の助力を得ながら漢訳したものである(「『萬國公法』對譯データベース」で原著と漢訳書の本文画像を見ることができる)。この漢訳書は刊行後すぐに幕末の日本に伝わり、開成所版『万国公法』(訓点者は西周、初版1865年)を皮切りに、数年のうちに翻刻書や重訳が数多く上梓された。

 近代的「権利」の使用例(rightの訳語としての「権利」や「権」)は、日本語(新漢語)を嚆矢とするのではなく、漢訳書『万国公法』が最初であった。津田や加藤は、開成所版『万国公法』などを通して、いち早くこの用語を知ったと思われる。しかし、中国におけるこの用語の普及が比較的緩慢だったのに対し、日本における普及は急速に進んだといわれる。だとすれば、康有為や梁啓超は、日本で急速に普及した近代的「権利」を中国に逆輸入したことになる。近代的「権利」は、実質的には日本語(新漢語)であったと考えることができるわけである。

 鈴木修次氏は、上掲著書において、康有為や梁啓超による近代的「権利」の使用例を分析しながら、当初は利権的な意味が強かったが、しだいに近代的「権利」の意味へと移行していることを明らかにしている。しかし、鈴木氏は、「中国でいう『権利』ということばには、どこかに『利権』臭がつけ加わっていることを否定できない。それはまた、第二次世界大戦後の日本の『権利』意識にも、若干かようなものがあるかもしれない。」ともいっている。どうして第二次世界大戦後という限定が付されているのか疑問だが、古典的「権利」の含意が、本来まったく異なるはずのrightの訳語としての近代的「権利」にも及んでいるということであろう。

 日本では「権利」に加えて「権理」という表記も行われていたが、1880年代後半以降は「権利」という表記が一般化する。しかし、実は、「権利」より「権理」の方が、原語である西洋諸語のニュアンスをよく伝える表記であった。