KANSAI UNIVERSITY

大学執行部リレーコラム

「正義を権力より護れ」雑考(市原靖久)

2012.06.27

 関西大学の“建学の精神”は「正義を権力より護れ」であるといわれる。しかし、そもそも「正義を権力より護れ」ということばは、いかなる経緯で本学建学の精神を表現することばであると考えられるに至ったのであろうか。

 まず、“建学の精神”という場合の“建学”とはいつか。本学の前身である関西法律学校が創立されたとき(1886年)なのか、大学令による大学(旧制大学)に昇格したとき(1922年)なのか、それとも、学校教育法による大学(新制大学)となったとき(1948年)なのか。本学は1886年を創立年としているので、“建学”とは、関西法律学校が設立されたときを意味し、“建学の精神”とは、関西法律学校創立の精神であると理解するのがさしあたり穏当であろう。

 それでは、関西法律学校創立の精神とはどのようなものであったか。それは「関西法律学校設立の主旨」(『関西法律学校規則』〔1886年10月・関西法律学校〕所収、『大阪日報』1886年10月13日掲載)に端的に示されている。そこでは、近代国家の国民にとって法律学や経済学の知識が不可欠であること、にもかかわらず関西には未だこれらを教える本格的な教育機関がないこと、だから大阪の地に法律専修学校を設立し、法律学と経済学を教えるのだということが謳われている。「正義を権力より護れ」ということば、あるいは、それに通じる自由主義的な思想の片鱗はここにはまったく見えないのであって、関西法律学校の創立者たち(本学には12人の創立者がいる)が「正義を権力より護れ」という精神に基づいて関西法律学校を創立したとは考えにくいのである。
 
 「正義を権力より護れ」という短句が、創立期にすでにあったことば、あるいは創立者が用いたことば、ではないとすれば、この短句は、関西法律学校の創立期より後の時代に属する人間が、関西法律学校創立時の精神をこのような短句で表現することが適切であると判断したうえで用いたことばであると考えられる。

 そうすると、いつ、誰がそのような判断を下したのかということになるが、残念ながら、その経緯は詳らかではない。しかし、そのような判断が下される決定的な契機となったであろう文章があったことは確認できる。それは、1947(昭和22)年に、当時学長であった岩崎卯一(法学部教授)によって書かれた一文である。

 この文章は、「関大の始祖、児島惟謙先生を憶ふ——正義を権力より衛れ——」という表題をもつもので、1947(昭和22)年12月15日発行の『関西大学学報』関大ルネッサンス特輯号(第226号)の巻頭文として掲載されたものである。この文章のなかで、岩崎は、(1)創立者の一人である児島惟謙の位置づけについて、(2)大津事件の概要とこの事件に対する大審院長児島惟謙の思想と行動について、(3)児島惟謙の思想と行動から導き出される「正義を権力より護れ」の精神について、以下のように述べている。

 (1)関西大学の前身たる関西法律学校の創立者の一人で大阪控訴院長であった児島惟謙は、大審院長として東京に赴任するまで、「名誉教員」(実際には名誉校員——市原)の名称のもとに、関西法律学校教授陣の監督者たる役割を果たしたのであり、今日の言葉に換えると、「児島先生は、まさに関大の初代学長である」。
 (2-1)児島惟謙が大審院長に赴任して僅か5日後に「湖内事件」(湖南事件=大津事件のこと——市原)が発生した。時のロシア皇太子が日本来遊の途次大津市に立ち寄ったとき、警護の任にあった巡査津田三蔵が突然抜刀して同皇太子に斬りつけ負傷せしめた。
 (2-2)世界最大の強国であるロシア帝国の皇儲に対するこの犯行は、当時の松方内閣をはじめ我国朝野を極度の憂慮に陥れた。政府は、かかる犯行に対する大審院裁判は断固死刑に処し、以てロシア帝国側の宥恕を乞うべしとの決意を堅持し、あらゆる権力的威圧を児島惟謙大審院長の上に加えた。
 (2-3)しかし当時の我国刑法には、外国の君主若しくは皇族などに対する犯行についての特別規程がなく、謀殺未遂の最高刑刑罰は無期徒刑である。
 (2-4)児島大審院長は、「法の正義」を守り、司法権の独立を護持することこそ、職を司法に奉ずる者の任務なりと確信し、ロシア帝国の強大、我国政府の権力的干渉に屈することなく、刑法の正条に照らし、犯人津田三蔵に無期徒刑の宣告を与えるべく部下判事を指導した。
 (3)「われら関西大学の後進は、母校の始祖児島惟謙先生より何を学びとらんとするか。それは関大学風の根幹たる「正義の権力よりの守護」である。第一に、法を真に正義の具現たらしめることである。第二に、法の権威を以て政治、経済その他の権力に対抗せしめることである。最後に、全世界を貫く正義の理念のためには死すとも悔いずとの信念に徹することである。」
 
 岩崎は、関西法律学校の創立者の一人である児島惟謙(当時は大阪控訴院長)が大審院長になった直後に発生した大津事件に際して示した思想と行動を高く評価し、その精神をこそ本学学風の根幹にすえなければならないといったのであり、必ずしも、「正義を権力より護れ」が関西法律学校創立の精神であるといっているわけではない。

 第2次世界大戦という苦難の時代を経た後の、新制大学としての学園再建にあたって、岩崎が、創立者の一人である児島惟謙に注目し、児島の大津事件への対応の精神を、新制大学として再出発する関西大学の学風の根幹にすえるべしと主張したことは、よく理解できる。しかし、そのことと、本学の“建学の精神”が何であったかということは区別して考えられるべきであり、この区別を曖昧にしたところから、「正義を権力より護れ」を“建学の精神”であるとする理解が生じたように思われる。

 もっとも、関西法律学校の創立者たち、わけても講師となった現職司法官たちのほとんどは児島惟謙の部下であったから、大津事件に際しての児島の思想と行動をよく理解し、それを支持したであろうことは想像に難くない。その意味では、「正義を権力より護れ」の精神は創立者たちに共有されていたともいえるかもしれない。しかし、だとしても、その精神が遡って関西法律学校創立の精神=“建学の精神”となるわけではないことは確認しておかなければならないであろう。