大学執行部リレーコラム

「日本、大阪、そして知性をも象徴した関西大学の校章」(楠見 晴重)

2012.01.30

 関西大学が、大きく発展していく中、このところ、しっかり私たちの足元と私たち自身を見つめなおすことも重要だと感じております。特に関西大学の伝統を守り、後世に確実に伝えて行くことも我々に課せられた使命です。その1つが校章です。
 関西大学の校章、大学という古い字体の漢字を囲んでいる草があります。
 早稲田大学の校章もよく似ているのですが、この草、早稲田は稲ですが、関大の場合は「葦」なのです。
万葉集に、このような歌があります。

 「難波人 葦火たく屋の 煤してあれど おのが妻こそ 常めづらしき」
 (巻11‐2651)

 現代語訳すれば、「難波人が葦火を焚く部屋のようにすすけて古びているけれども、わたしの妻はいつまでも可愛くて一番だよ」ということでしょうか。
 古代より、難波の地は葦が生い茂っていることで有名でした。今も淀川の河原は昔よりは少なくなりましたが葦が生い茂っています。昔、燃料として用いた葦は火力が弱く、煙って家の中は煤(すす)だらけだったようです。
 「まるで家の中の真っ黒な煤のように、顔も手も煤で黒くなり、若い頃の初々しさはないけれど、それでも女房は世界一だ」と貧しいながらも明るく生きている庶民のくらしと思いが生き生きと詠まれています。

 この大阪の昔からの象徴を、関西大学は校章に用いているわけです。
ちなみに、古代、わが国では葦が豊かに生え、稲がみずみずしく実るところから「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらみずほのくに) とよばれていました。
 そうです。早稲田の稲と関大の葦、ともに日本を象徴する植物だったのです。

 さて、17世紀の自然科学系の哲学者パスカルは、「人間は考える葦である」とあまりにも有名な言葉があります。
 私のような土木工学の人間からしますと、数学や自然哲学系の学者であるパスカルは、何か小難しい感じがするのですが、この言葉だけは、すっと胸の奥に落ちるものがあります。
 「宇宙の大きな力の前に、地球上の生物、人間も「葦」も同様に取るに足らない存在だが、人間が、他の生物と違うのは、「考える」ことができるからだ。人間を人間たらしめるのは「考える」ことができるからだ。」こうパスカルは説いています。
 つまり、「考える」ことが人間の存在の意味であり、人間の尊厳の源だと言っているのです。

 今年で126周年を迎える関西大学です。未来に向けて、大きく変革の必要もあります。しかし、私たちの関西大学は、何か目新しい品物を消費者に提供するビジネスを生業(なりわい)としているのではありません。大学とは、日本社会だけではなく、人類社会に貢献する教育と学問、研究をさらに発展させていく責任を負った組織と考えます。
 私は、それを改めて肝に銘じるとき、日本や大阪を象徴するだけでなく、知性をも象徴した、この「葦」を関西大学は長く冠に戴いている、この素晴らしい校章を長く掲げてきたことに、そしてこれからも掲げていくことに、誇りと勇気が湧いてくるのです。
 この校章に恥じないように、大阪という地元に根付き、そしてしっかりと考え、教育と研究を深める大学であり続けたいと考える今日この頃です。