宮城フィールドノーツ

執筆者:津田勇馬

こんにちは!
近藤ゼミ3回生の津田勇馬です。

5月27日~29日、宮城県訪問に行ってきました。
宮城県はめっちゃいい場所!
自然にも囲まれていて、道もとても整備され
綺麗な場所でした。

関西とは違い穏やかな人ばかり、笑
(コンビニのレジがゆっくり過ぎて
早くしてほしいなと思っていたのは内緒で)

でも、綺麗になった背景には
東日本大震災が大きくかかわっていました。
被災前と被災後の風景を比べてみると
愕然とすることばかり、、、 
正直、胸が苦しかった時もありました。
その中で、感じたことを書いてみます。

3日目の
ラジオ気仙沼の昆野さんのお話。
昆野さんは、津波に対して十分な知識があったため
適切な避難ができ、被災後には全力でラジオ放送に
取り組んでいたそうです。

写真1

写真1

昆野さんが苦労したことは、
避難時になかなか避難しようとしない親を連れ出すことや
臨時の災害情報をどのように伝えるかについて
だと仰っていました。

ニュースや大学の講義でも
このようなことを聞いたことありましたが、
直接話を聞くのはリアリティが全く違い、
考えるべきことが多かったです。

でも、失礼ながら昆野さんの被災時の苦労は、
僕が思っているものとは違いました。
なので、お話の後で昆野さんに質問しました。

「昆野さんが一番しんどかったのは、いつですか?」
こんな質問に「今かな。」と答えてくれました。

昆野さんは
「避難は適切にできたし、被災後も前向きに復興活動ができた。
今になって分かったことがある。復興に終わりがないこと、
復興期間に失ったものへの喪失感、
地震へのトラウマなどいろいろと浮き彫りになっている。」
と仰っていました。

今が一番しんどいなんて考えてもいませんでした。
私たちが知っている東日本大震災は
ごく一部で、表面的なことしか知らないと思いました。
被災者も十人十色なので、苦労に感じていることが違うはずなのに、
僕たち被災していない人は
そのようなことを考えていない気がします。
僕は表面だけで判断しない人間になりたいです!
昆野さん本当にありがとうございました。

写真1

今回のフィールドワークでは、
言葉に言い表せないことばかりでした。
でも前向きな人が多い!

イメージとは、違うことだらけでした。

女川に行ったとき、当時小学5年生が書いた詩をみました。
「女川は流されたのではない 
新しい生まれ変わるんだ 
人々は負けず待ち続ける新しい女川に 
住む喜びをかんじるために」

被災後すぐでもこのように感じている人がいる。
被災者は何も知らない僕たちが思っているより強い!

校友会の皆さん、近藤先生、
本当にありがとうございました。
自分史上一番の経験になりました!
また訪問した時はよろしくお願いします。

写真1

津田勇馬