気仙沼・オイカワデニムを訪問しました。

執筆者
亀井ゼミ 江田健太郎 仙谷太一 清水佑香

江田健太郎
私たち亀井ゼミは、被災地調査と東北・みやぎ復興マラソンに参加するため、宮城県へ飛行機で飛び立ちました。初めての東北、被災地への上陸だったため、少し緊張していました。金曜の夜から出発して、日曜の夜に大阪へ帰ってくるという2泊3日の旅でした。

授業で津波の映像や被災後直後の動画・写真をたくさん見ていたため、仙台空港に到着したときに、ここも被害がすごかったのだろうなと感じました。当然といえば当然なのかもしれないが、きれいに復旧されていて、感動したことを覚えています。目で見るだけでは津波の被害があたかもなかったかのようにも感じました。

2日目は、オイカワデニムさんのところへ、震災の時の話を聞かせていただくのと工場見学をさせてもらいに向かいました。ゼミの授業内で見たオイカワデニムさんの震災時の景色と同じ場所で、現在の景色を見た時に、心にグッと何か刺さるものがありました。その場所で目を閉じると、あの恐ろしい津波の映像が流れました。

オイカワデニム代表取締役の及川洋さんからお話を聴きました。津波の被害にあってから、復興のやり方やどうすれば人を雇うことができるのかということなどを聞いて、ご自身も混乱していて不安のなか、色々な工夫を用いていたということをお聞きして、非常に感心しました。そのような人々がいるから他の人々に勇気を与えていたのだろうなと思いました。メカジキマグロの角などの廃材からもジーンズを作っていることを聞いて、どんなものでもジーンズを作る発想に尊敬しました。津波で流されたがほつれが一つもなく見つかった、オイカワデニムさんの奇跡のジーンズを実際に見て、非常に感動しました。本当にほつれが一つもなく驚きました。一つ一つ手作業で作っていてオイカワデニムさんのジーンズの凄さを実感しました。

津波の0波、1波、引き潮などの写真を見て、津波の恐ろしさをより感じました。及川社長が言う0波というものは初めて知った事実でした。

津波に流されて見つかった「奇跡のジーンズ」

清水佑香
私たちは、津波の被害にあった仙台に行き多くのことを学んできました。その中で、津波に倉庫が流された及川デニムに行きました。及川さんの話を聞いて、津波の恐ろしさを改めて知りました。放送で6メートルの津波が来ると言われ自分は大丈夫と思い、逃げなかった人が多くのみこまれて亡くなられました。6メートルの津波が来ると言われたら、それより高いところだから大丈夫と誰もが思うはずです。その情報に間違いがあるとは思いません。その結果多くの人がのみこまれてしまいました。津波の写真を見せてもらい、それはものすごく恐ろしいものでした。多くの人は、引き波が来てから押し波が来ると思っていました。ところが、最初に押し波が来ました。そして、近くの島の水がなくなり、いつも見えない島の下の部分までむき出しになってしまいました。引き並みの威力はあまり知られておらず、多くの命の奪うものとなりました。命だけではなく、多くの仕事も奪われました。気仙沼市では海のものが豊富であり、及川デニムでは、災害後もその気仙沼のものでデニムを作ろうと考えて、メカジキの角や、大漁旗でデニムを作ることに成功しました。私たちでは考えもつかないことで衝撃でした。

気仙沼では多くの失業者が出ました。そのため、ハローワークさんに求人情報を出しました。しかし、ただ単に募集をしただけで、被災した人の気持ちを考えていなかったため、誰も来てはくれなかったそうです。及川デニムはデニムを作る会社のため、機械を利用するため、初心者にもできるのか、とさらに不安になるだけでした。そのため、被災者の気持ちも考えて再び求人をだしたら来たそうです。すべてをなくした人達の気持ちを考えなければならないことに驚きました。


私は静岡出身であり、清水には2分で津波が来ると昔からいわれています。津波が来るといわれながら、何10年もたっています。堤防などはあまりたっている様子はなく、お年寄りや足の不自由な方をどこに逃げたらいいのか、あきらめないで逃げる必要性を伝えています。しかし、このようなことをしていても、想像を超える津波が来ると思われます。放送などでも仙台の津波のときのような明確な数字「6メートルの津波」が来るとは言わない、言われたとしても信じないことが重要だと思う。

仙石太一
宮城県仙台市を訪れた。そこは東日本大震災で被害を受けた地域である。
そこから2時間かけて、気仙沼市にある「オイカワデニム」という会社を訪れ、お話しを聞くことができた。

ここは、亀井先生の授業でもよく取り上げられる会社の一つである。2011年の震災当時、何人もの被災者を助け合うなどしているこの場所で、現在の代表取締役である及川洋さんにお会いし、震災当時の話や自身の会社の話をたくさん聞くことができた。会社があるすぐそばの当時の写真を見ながら津波という災害がどれだけ怖いのかということが分かった。見せていただいた写真には津波の恐ろしさを伝える何かを感じることができた。予想では、津波の高さは6mと推定されていたと言っていたが、実際には15m程度の津波が押し寄せたという。その予想の影響で、6m以上の場所にいるから安心だという安心感から移動せず、実際の津波に飲み込まれて亡くなった方たちも多いという。その話を聞いたことで、政府の予想がどれだけ国民に影響(=重要)であるかということを知ることができた。そして、現在ではメカジキの先端部分を使用したデニムを製作していると話していた。先端部分をデニムの生地に合わせることでデニム自体に保湿成分が存在していると言っており、この製品は漁師向けに開発された商品だという。また、ほかには、北海道に出向き会社を立ち上げて活動しているという。一般人には到底考えつくことのない発想で様々な製品を作り上げている姿勢にとても感動しました。これからも、1日でも早い復興を願っております。

工場からの眺め。海辺にあった倉庫と前社長・及川秀子さんの自宅は流されてしまった。
メカジキの角の成分を使って作られたジーンズ