能登半島地震から20カ月後の被災地(能登町・輪島市・珠洲市)を訪問して (その1)
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能登半島地震から20カ月後の被災地(能登町・輪島市・珠洲市)を訪問して (その1)
1.訪問の経緯
能登半島地震後、人口減少が進む奥能登地方の被災集落を訪問し、祭りの応援や集落の自治活動に協力しながら復興について考えてきました。畑を耕す高齢者は元気で頼もしいのですが、「多くの人が地域を離れていった」「復興の担い手がいない」という話を何度も聞かされました。「復興を支える人は本当にいないのか?」そんな疑問を持つようになった頃、金沢大学の能登里山里海未来創造センター(RRセンター)の研究員さんが「能登若衆の会」を紹介してくれました。「参加する若者の多くは20代前半。奥能登に移住・定住し、地域づくり・復興支援をしている。SNSで緩やかにつながって活動資源(人・モノ)を融通し合い、政策提言活動も行っている」とのこと。同世代の若者が、被災地で何を考え、どんな活動をしているのか知りたいと思い、2025年9月12日~15日、「能登若衆の会」のメンバーに調査を受け入れてもらいましたので、概要を報告します。

(写真1)能登半島の先端、珠洲市・禄剛崎にて(9月13日に撮影)
以下の報告は、菅ゼミ3回生(石川、岩口、大西蘭、大西ひかり、沖友、乙田、夏原、山上、依藤、渡部)がまとめた調査研究報告書より抜粋しました。
2.「能登若衆の会」との交流――9月12日夜(1)
到着直後、宿泊先の「&線」の広間で「能登若衆の会」のメンバーと初顔合わせ。持ち寄った夕食を囲んで交流。まず「能登若衆の会」を紹介してもらいました。
設立当初は、男子5人の小さな集まりだったようですが、友人の紹介・地域の繋がりを通じて輪が広がり、現在までに13回の集会を開き、延べ200名以上が参加。メンバーは約70人だそうです(2025年9月時点)。
「能登若衆の会」が大切にしていることは2つ。1つは「主体性の育成」。能登でのまちづくりに限らず、あらゆる場面で、他人任せではなく自分の意志で動く姿勢を大切にしているそうです。2つ目は「縦と横のつながり」。年齢・職業・地域といった枠を越えた交流が、新しい発想や化学反応を生むと考え、地震を経験したからこそ「自分が幸せならいい」のではなく、地域全体で普段から助け合える関係の構築を目指しているそうです。
会の代表で、「ケロンの小さな村」を経営している古矢さんは「『能登』という地域全体を主語にして、まちや仕事場を越えたつながりの中で、能登全体をより面白くしていくことを目指している」と仰っていました。

(写真2)「&線」にて、グループに分かれて「ライフヒストリー・インタビュー」(2025年9月12日撮影)
3.「能登若衆の会」へのライフヒストリー・インタビュー――9月12日夜(2)
その後、能登若衆2-3人と菅ゼミ2-3人を1グループとして、若衆一人ひとりの生い立ちから移住、現在の活動に至る迄の経緯を尋ねる「ライフヒストリー・インタビュー」をさせてもらいました。その結果、お話を伺った8人の移住理由は、地震と地震前からの地域理解に大別されることが分かりました(詳細は調査研究報告書に記載しているので省略)。このインタビューから、災害は、過疎地の人口流出を加速させる要因と捉えられている一方、被災地への関心を高め、人々の移住を促す契機になることにも気づかされました。
私たちは「能登若衆の会」を、能登の復興・活性化という共通の目的の下に集まった「コミュニティ」であると捉えています。このコミュニティが、復興に携わる若者の孤立を防ぎ、活動意欲の向上、アイデアの共有といった役割を果たしていることも分かりました。実際、交流会の時も「今度、海に潜りにいきませんか?」といったやり取りが交わされており、この会が、移住した若者たちに、同年代・地域とのつながりを提供する重要な役割を果たしていることも伺えました。
日本各地で、地方から都市部へと若者の流出が進む中、「能登若衆の会」のような若者のリアルな(バーチャルだけでない)コミュニティが、地域の活性化に寄与するだけでなく、若者に活動の場・活躍の機会を提供する可能性を感じました。

(写真3)「能登若衆の会」の代表が経営する能登町の「ケロンの小さな村」にて(2025年9月14日に訪問・撮影)