能登半島地震から8カ月後の被災地(志賀町・輪島市)を訪問して(その3)
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(その3)輪島市の被災市街地の様子(9月8日のレポート①)
地震から9ヶ月が経過した現在でも、市街地の復興は遅れており、道路の舗装が不十分で凹凸が目立つ箇所が多く見られました。倒壊した家屋が手付かずのまま残されている場所もあり、周辺には応急危険度判定の結果が掲示された建物がまだ多数存在していました。
特に被害が大きかった朝市通り周辺では、地震の際に発生した火災により約300棟が焼失し、一部のエリアは現在も立ち入りが制限されています。輪島塗を取り扱う五嶋屋は地震で大きな損傷を受け、地盤がむきだしになり、建物が横倒しのままの状態でした(写真5)。
しかし、規制線や立ち入り禁止の標識が設置されているものの、火災を免れた店舗は徐々に営業を再開しており、観光客の訪問も少しずつ回復しているようでした(写真6)。(写真5) (写真6)
輪島市内の孤立した集落を訪問して(9月8日のレポート②)
この集落を支えているNPOの方は、インターンの受入れも行っていて、インターンの学生達に宿泊・活動拠点となっている小学校を案内してもらいました(写真7)。
その後、NPOの方に、震災直後の孤立した時期に、要介護の高齢者の対応をどうしていたのか、聞かせていただきました。この集落では、地震後のそれぞれの段階で、地域自治を担う集団・組織=コミュニティが重要な役割を果たしていたそうです。発災直後は、地域の人たちで、高齢者や寝たきりの方などの安否確認を行い、全町避難を決めた後は、自衛隊の力も借りながら、寝たきりの人も一緒に助け合いながら移動し、傷病者を出すことなく全員避難できたそうです。集団避難した先の避難所では、要介護度が高い高齢者も、一般の避難者と同様に生活し、それを家族・近隣の人で支えていたそうです。災害が発生すると、目の前の課題で一杯になり、今後のことを考える余裕がなくなってしまいがちですが、日常的に話し合いの場を作ることが大切だと感じました。(写真7)支援者の宿泊場所として使われていた「インスタントハウス」を見学中