東北研修2日目
-
執筆者 上坂朝 池田武揚 城山喬栄
9月13日、東北研修2日目、南三陸町役場の防災防災庁舎、サンサン広場、高野会館、ソレイユの丘に行きました。
高野会館・防災庁舎
高野会館は現在民間震災遺構で、当時高齢者芸能発表会に参加していた高齢者の多くの帰宅を引き留めて命を救うこととなった施設でした。高齢者が多くいるということで薬の提供を行ったり、いつ救助が来るか不明な状況下で水をペットボトルの蓋で少しずつ提供していたという話をガイドの佐藤さんにお伺いしました。実際の建物に津波到達地点が示されていてバスから見上げても3階の天井より高く、津波の威力の大きさを感じました。南三陸町に到達した津波は平均高さ海抜16.5mで、防災庁舎の職員や警察関係者、消防、近隣住民など多くの人がこの防災庁舎の屋上へと避難したが、アンテナにしがみついていた数名の方以外の43名の方が犠牲になりました。この防災庁舎で当時職員だった遠藤未希さんが最後草野球の監督も務めていた職員の男性に交代するまで防災無線を使って高台への避難を呼びかけていたという話は授業で聞きましたが、最後に交代した男性の存在は知らなかったためメディアで頻繁に取り上げられていた遠藤さん以外にも犠牲者がいることも絶対に忘れてはいけないと感じました。
南三陸町役場の防災防災庁舎とサンサン広場に行った際は、 最初は緑の小高い丘が広がる一見綺麗な場所だなと感じたのですが、かつては、今自分が住む場所ともそう変わらない街が広がっていたという事を写真で見て、改めて東日本大震災の恐ろしさを心から感じました。加えて、知識では 10 メートルを超える津波が来たという事は知っていましたが、実際に高野会館や向洋高校を見て、その津波の高さや破壊力をよりリアルに知ることができ、津波への認識がさらに改められました。
ソレイユの丘
ソレイユの丘というケアハウスでは気仙沼市前市長である鈴木さんご夫婦にお会いすることが出来ました。ケアハウスや保育園の成り立ちについてお伺いしたり、鈴木さんの奥様が津波にのまれながらも生き延びた際の体験談についてお話をお伺いしました。奥様の体験談は生の恐怖や体験を感じることができたため貴重なわ機会でした。奥様は一度家に戻ろうとしたことで津波に巻き込まれなんとか泳いで逃げ出そうとしたものの体力が追い付かなかったときに近くにいた方の応援や助けによって板にのって救出されたという話をしていらっしゃって、人の助けの暖かさを感じるとともに津波にのまれ身体が動かない恐怖を追体験のように感じました。気仙沼の伝承館での奥様を失くされた方のビデオでも、高野会館にいた方で亡くなられた方にも「家に戻った」という共通点がありました。家に戻っていく前にまず避難しなければならないという教訓を痛感しました。
オイカワデニムさんへの見学
高台にある工場で直接見学をさせていただき、製造現場を肌で感じました。印象に残ったことは、デニム事業を活用して環境問題に取り組み続けていらっしゃる姿勢です。 メカジキマグロの角や鹿の毛をデニムの材料にするために、長期間の研究を社長自ら手が けそれを実現しているということに驚きました。また、単に新規参入するのではなく、 「これによってどのような影響を及ぼしメリットを生み出せるのか」という賢明な判断が あるということにとても感銘を受けました。