「第44回地震工学研究発表会@金沢」に参加しました

執筆者:高橋佑介(修士2回生)

学生ブログを閲覧している皆様,こんにちは!奥村ゼミM2の高橋です.

先日,9/10〜11にかけて石川県金沢市で開催された「第44回地震工学研究発表会」に参加してきました.奥村ゼミからはM2高橋,B4久世,B4前田の3名が金沢商工会議所会館にて研究成果を発表しました.以下は,発表タイトルの一覧です.

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南海トラフ地震を想定した大阪梅田地区における津波避難実験          (前田)
新聞記事を用いた令和6年能登半島地震津波における住民の避難行動調査     (久世)
避難開始における論理的判断と直感的判断の関係に関する津波避難シミュレーション(高橋)
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初の北陸新幹線
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金沢駅に到着
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今回の発表会場である金沢商工会議所会館へ
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会場は金沢城の側.折角の機会なので行ってみることに
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金沢市内でも所々に能登半島地震の被害が
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暑かった兼六園
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散策後はお寿司!
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食後の散歩で金沢21世紀美術館へ
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ホテルで見かけた,2次避難に関する案内

今回も去年と同様に,前乗りで金沢へ向かいました.また,折角の機会なので,金沢城や兼六園など名所も訪れてみました.見学して分かりましたが,震度の比較的小さかった金沢市内でも所々で被害の痕跡が見受けられました.また,今回宿泊したホテルは2次避難所となっているらしく,お弁当の配布に関するポスターや,対処届,地元の広報誌などが置いてありました.地震の影響が未だに続いているようでした.

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2日目からは研究発表会がスタート
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会場のようす
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開会前のようす
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昼食はざる蕎麦で

2日目からは本番です!今回は,前回4年ぶりの対面開催となった沖縄を超える,合計300人以上の聴講者・発表者となり,過去最大規模とのことでした.確かに,現地の会場内では座れずに立ち聞きする方も居るほどの盛り上がりでした.また,発表者の半数以上が40歳以下の若い世代とのことで,会場では世代を超えた活発な議論が交わされていました.

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終了後はしいのき迎賓館で意見交流会が
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立食形式でした
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参加記念の升と能登の地酒
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幹事長(奥村先生)による意見交流会閉会のご挨拶

発表会終了後はしいのき迎賓館で意見交流会が開かれました.折角の機会なので,自分たち学生も参加してみました.参加者には記念品としてヒノキで作られた升がお土産として配られていました.能登半島を禄剛埼灯台が照らすデザインがあしらわれています.

今回始めて能登の地酒を升で呑みましたが,その中でも特に菊姫はとても呑みやすく,大変美味しかったです.また能登半島を訪れることがあれば,是非お土産に買って帰りたいところです.

ちなみに今回頂いた菊姫,能登半島地震で珠洲市の酒造で奇跡的に割れ残ったお酒のうちの一本らしく,大変貴重なお酒とのことでした.

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久世の発表中のようす
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閉会式

3人とも発表が2日目の午後のセッションに割り当てられていたため,午前中はスライドの校正や発表練習に当てていました.

私は学外での発表は久々でしたが,ある程度リラックスしつつ,適度に緊張しながら発表できたと思います.少し時間をオーバーしてしまったのと,時間の制約上かなり理解の難しい発表になってしまったのが心残りです.次回以降,そのあたりを改善できればと思います.

学部生2人の発表は,制限時間が来ても発表の手が上がっている位に盛り上がっていました.本人たちも,「意外と発表のときには緊張しなかった」とのこと.今回の発表や意見交流を通して,研究がさらに良くなるといいですね!

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発表終了後の金沢おでん

発表終了後は一旦ホテルに戻った後,奥村先生と合流して4人で金沢おでんを食べに行きました.暑い夏におでん?と思われるかもしれませんが,意外と合うもので,皆様も金沢を訪れる機会があれば,是非一度,味わってみてください.

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最終日はレンタカーで能登半島へ被災地調査
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まずは液状化による被害の激しかった内灘町へ
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至る所に噴砂の痕跡が,地区の電柱や家屋はほとんどが傾いている
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見たところ,ほとんどの家屋が「危険」判定

金沢市内を出発後,まずは内灘町を目指しました.能登半島地震では液状化の被害が激しかった地域です.被害のあったエリアはかなり限定的で,内灘町のなかでも河北潟に面したエリアだけですが,被害の規模としてはかなり激しいものでした.建物倒壊などはあまり見られなかったものの,地面の変形により,地表面にあるありとあらゆる建築物が歪んでいました.

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移動中のようす.地盤が崩落したため,脇に迂回路が作られている
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こういった箇所が連続しているため,全線で40km/h規制
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能登町へ移動
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能登町役場
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役場内に掲げられた復興祈念の旗
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会議室では復興ワークショップの準備が
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昼食

内灘町を出発後は,能登町へ移動しました.道中,高速道路やバイパスに地震による被害が色濃く残っていました.能登町役場では午後から行われる復興に関するワークショップの準備がなされていました.高齢化率の進行と人口減少にいかに対処していくか,どう「里山里海」を活かしていくかが鍵だとお話を伺いました.

その後は少し遅めの昼食を能登町内でいただきました.復興・復旧作業の関連か,食堂内は作業員の方で賑わっていました.

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昼食後は海沿いを通りつつ能登町白丸地区や珠洲市鵜飼地区へ
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能登町白丸地区で見かけた津波避難路
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白丸地区では津波の痕跡が(中央の茶色のライン,敷地外より撮影)
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倒壊した家屋も
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能登半島地震で崩れた見附島
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転倒した防潮堤?
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地震で浮き上がった橋
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鵜飼地区で見かけた,浮き上がったマンホール
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津波により流された自動車(敷地外より撮影)
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倒壊したブロック塀(敷地外より撮影)
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津波火災の痕跡
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壁面に津波の痕跡

能登町役場を出発後は,津波被害のあった同町の白丸地区や珠洲市の鵜飼地区を視察しました.どちらの地区も,倒壊した建物が未だに残っていたり,建物に津波のラインが残っていたりと,発災から半年以上経った今も,被災当時のようすがハッキリと分かるようでした.また,鵜飼地区では液状化によるマンホール・橋梁の浮き上がりや,津波火災の跡も残っていました.

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輪島市の土砂災害
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倒壊した五島屋ビル
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大規模火災のあった輪島朝市
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崩落の跡が目立つ海岸沿い
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仮設住宅
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最大5m隆起して海底が露出した輪島市の門前地区
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黒島漁港も陸地に

能登町と珠洲市の視察後,輪島市へ移動しました.輪島市内では倒壊した五島屋ビルや,大規模火災のあった輪島朝市のようすを見ることが出来ました.また,道中では大規模な土砂災害のあった一ノ瀬地区も車中から見ることが出来ました.

市内を見学後は,門前町の方へ移動し,隆起した海岸と漁港のようすを見ることが出来ました.地震から半年以上経過したため草が生えつつありますが,それまで海底だったところは未だに白くはっきりと分かる様子でした.

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日本海の夕焼け
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金沢駅に到着
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お寿司を食べて帰路へ

去年の活動では津波による被災前と,被災後の復興のようすを見ることができ,今回の能登半島の視察では被災直後のようすはどのようになっているのか,ということをありありと見ることが出来ました.

自分の研究テーマはまさに「津波避難」であり,どういったハザードから命を守るのか,ということに対し,今回の経験を経ることでとてもリアリティのある実感を持つことが出来たのではないかと思います.

修士の期間はあと四分の一ほどですが,この機会で得た経験はきっと社会に出たあとも役に立つチャンスがあるのではないかと考えます.

去年と今年,大学院に入学してから様々な場所で災害に関する知見を深める機会がありました.そこで得た学びを,今後の防災・減災にしっかりと反映できるよう,あと半年の研究生活をさらに深めていきたいと思います.