宮城・福島 交流報告(後編)
-
近藤ゼミ4回生の井尻優香です。
福島ブログpart1に引き続き、
福島ブログpart 2をお届けしたいと思います!私からは、訪問3日目に
西郷村立羽太小学校での防災交流授業について話したいと思います。まず、「なかよし班」の3班ずつに分かれて
フィールドワークをおこないました。8.27水害の被害を知るために、
近くの河川敷を訪れ、実際に被災した方のお話を聞いたり、
羽太地区の散策し、3.11の液状化被害に関するお話を聞きました。
また、西郷村役場の方から
倉庫の備蓄品についてお話を聞きました。私たちも初めて聞くお話ばかりで、
実際被災された方から現地でお話を聞ける貴重の機会をいただけて
本当に勉強になりました。そのあとは、各学年に分かれて交流を深める授業を行いました。
1年生のクラスでは、
椅子取りゲームやカルタ、フルーツバスケット、
じゃんけん列車など多くのゲームを通して交流を深めました。
2年生のクラスでは、ダンボールやペットボトルを使い、動くおもちゃを作りました。
3年生のクラスでは、
「ダンボールの形をかえてみると、どんなことが思いつくか」を目的に
ダンボールで図工を行いました。
4年生のクラスでは
「ダンボール箱でどんなことができるのか」を目的に
ダンボールとテープ、結束バンドだけでお店を作りました。家が立つように結束バンドをうまく使うことが大変でしたが、
みんな上手くやっていて、感動しました!
頭を使って、どこにバンドを通したらいいのか、
どんなお店にするのかを考えながら行うことが楽しかったです。
5年生のクラスでは、
「相手の立場になって考えてみよう」と題して、
お題当てゲームを行いました。キーワードやジェスチャー、ヒントを頼りにしながら答えを導くゲームで、
一生懸命ジェスチャーをして答えを導き出してくれる姿は
とても可愛らしく、愛おしかったです。
すごく盛り上がりました!
6年生のクラスでは、
新聞紙を使ってじゃんけんに負けたら自分の陣地が減っていくというゲームと
「ナンジャモンジャ」を行いました。とても楽しかったです授業が終わると、いつもと同様、一緒に給食を食べ、
掃除をし、休み時間を一緒に過ごしました。今回はあいにくの雨だったため、
校庭で遊ぶことはできませんでしたが、教室でいっぱい会話をし、
学校を案内してもらったりして、楽しく過ごすことができました。
5時間目の授業は、
近藤先生の方から今回行ったフィールドワークの振り返りを行いました。
再確認できる機会があり、大学生も小学生も地域の方も先生方も
いい機会になったのではないかなと思いました。
あっという間に時間が過ぎ、お別れする時間になりました。
本当に羽太小学校の子達と過ごす時間が大好きで、
大好きすぎてお別れする時涙が出てきそうになりました。
会える回数が限られている中で、羽太のみんなに出会わせていただけたこと、
たくさんの方々に支えられ、プロジェクトが続けられていることに
本当に感謝してもしきれないです。
訪れるたびに似顔絵を書いてくれる子がいて、本当に嬉しいです(涙)
本当に羽太のみんなが大好き!! また早く会いたいです!!(井尻優香)
最後に、参加したメンバーからの感想を紹介したいと思います。
<4回生、西出梨乃>
今回もありがたいことに、
たくさんの震災遺構、伝承館などを
訪れることができました。
私はこの訪問での多くの学びの中で、
特に、震災を後世に伝えていく術について考えさせられました。
震災遺構である中浜小学校で、
発災当時に実際に小学校の教師として勤務しており、
小学校の屋上に避難することで一命を取り留めた
語り部さんがいらっしゃいました。
その方のお話を聞いて、当時の校長先生らによる意思決定の話を知り、
当時の先生方の覚悟を感じ取ることができました。
こういった話は、人から人へ語り継いだり、
メディアで放送したりして、後世にエピソードとして残していくことは可能です。
しかし、当時の緊迫した空気感などは、
やはり経験された当人らにしかわからない部分もあります。
このような過去の出来事をどうすれば風化させずに伝え続けることができるのか、
どうすれば知識で終わらせずに教訓として活用し続けることができるのか、
この点を深く考えさせられるフィールドワークになりました。
防災に向き合う身として改めて、過去、現在、未来、
すべてを意識して防災に取り組んでいこうと思いました。<4回生、矢嶋爽花>
私はこの三日間の全体的な感想を伝えさせていただきます。
私は福島訪問4回目になりましたが、
この経験がどれほど私たち学生にとって学びに溢れていて、
価値あるものなのかということを改めて身に染みて感じました。
三日間、新しい出会いがあり、多くの学びを得ることができました。
繋がりや、交流、みんなで防災に取り組む大切さ。
羽太小学校での交流は、いつも私たちに元気を与えてくれ、
いつも帰るのが惜しくなっています。
一瞬一瞬が大切な思い出になっていて、
遠く離れていても繋がりを大切に、
今年も交流させていただいていることに感謝致します。
今後とも、フィールドワークとは何か、自分は何ができるのか、
しっかりと見つめ直して活動していきたいです。<3回生、酒井雄至>
僕は東北自体に行くことが初めてでした。
今回の訪問では多賀城高校や中浜小学校、羽太小学校などを訪問しました。
多賀城高校では近藤ゼミで実際に扱っているプロジェクトの説明を行い、
高校生と交流をすることができました。
僕たちの説明を、メモを取りながら相槌も打ってくれたので
とても嬉しかったです。高校生が防災に関して
どのような勉強をしているのかを聞き、
高校生が一生懸命防災について考えていることが分かり、
僕も負けないぐらい勉強していこうと思いました。
中浜小学校は東日本大震災の津波の影響を大きく受けた学校で
現在は震災遺構の学校として誰でも見学できるようになっています。
当時の被害の様子がそのまま残されていて
正直胸が痛くなりました。しかし、そのままの状態で残すことにより、
震災を経験していない僕たちにも恐ろしさを教えることができるのではないかと
思いました。羽太小学校では、小学生と一緒にフィールドワークを行い、
一緒に給食も食べました。とても懐いてくれて
たくさん話してくれてとても嬉しかったです。
また10月に訪問するので楽しい思い出をたくさん作りたいです。
今回は台風の影響があり、思うようにいかないことの方が多かったけれど
多くの人の協力により、予定より早く帰ってくることができました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました<3回生、三枝千夏>
今回初めて被災地を訪れ、
津波がどれほどの力で人々の生活を奪ったのかを実感しました。
かつて住宅が立ち並んでいた場所が今では広大な田んぼに変わっていたり、
壊れた鉄骨や2トンもの重さの石像が転がっているのを目にしたとき、
その破壊力に圧倒され、自分がどれほど現実の恐ろしさを
理解できていなかったかを痛感しました。
特に印象に残ったのは、震災遺構である中浜小学校で聞いた
校長先生の話です。10メートルの津波が予測される中、
児童たちを屋上に避難させるために、
命を守るという大きな責任を背負いながら階段を登ったということでした。
校長先生の姿に、私も将来、重要な決断を迫られたときには、
何よりも命を最優先に考えられる人間でありたいと強く思いました。
最終日に訪れた羽太小学校では、
東日本大震災当時にまだ生まれていなかった子どもたちがいました。
私たちが学んだことや震災の教訓を次の世代に伝えていき、
今後の防災や命を守ることに繋げたいと感じました。<3回生、山根奏楽>
今回この合宿に参加して、
台風などの影響もあり戸惑うこともありましたが、
様々な人のお陰で貴重な経験をすることが出来ました。
日本で過去に起こった災害のなかで、
阪神・淡路大震災は自分の地元で起こった災害として、
深くまで学ぶ機会が多くありましたが、東日本大震災は
詳しい被害や避難状況を詳しく学べる機会が少なかったので、
今回東日本大震災について知識を深めるといった点で
忘れられない経験となりました。
津波が襲ってくる恐怖、自分の家が無くなる光景、
寒さを耐え抜く命がけの避難生活など
自分の知らなかった被害を被災地の様子を見たり、
聞いたりすることで体感することが出来ました。
また、今回の合宿で多賀城高校の生徒や羽太小学校の生徒たちとの交流を通して、
防災を次の世代に伝えるという体験をしたことが印象的に残りました。
今までは実際に経験した人や被害状況から
「学ぶ防災」を行ってきましたが、
これから防災の大切さを学ぼうとしている世代に
「伝える防災」というのは経験したことがなかったので
初めは緊張していました。しかし、生徒たちとの交流を通していくにつれて、
自分のことを理解してくれたと感じた瞬間、感動しました。
そして、これからは、学ぶだけでなく、その学んだ知識を
次の世代に伝えることも、自分にとって大切なことであると
改めて感じることが出来ました。
私はこの合宿に参加できて本当に良かったと思います。
貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。
(近藤ゼミ参加メンバー一同)