東北研修

執筆者:弘田詩織

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仙台に着いて初めてみた被災地が大川小学校でした。それまで授業で聞いていたことを初めて生で見ました。やはり実際に見ると衝撃を受けました。崩れた渡り廊下は迫力があり、印象的でした。



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南三陸町庁舎跡では、津波がきてもある女性は最後までマイクで逃げるように呼びかけていたという、多くの授業で話を聞いた場所だったため、実際に見られたのはとても良かったです。周辺は本当に津波が来たのかわからないくらい綺麗になっている中でこの建物を残すことに、最後まで放送を続けてくれた女性などへの思いが込められていると感じました。



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南三陸町震災遺構には、人の死や命をテーマにした現代アートがありました。東日本大地震により多くの人が亡くなって、死者数も発表されているが、みんな同じ死を遂げたのではなく、11人それぞれの死があり、11人それまでの生き様があることを示したアートでした。そのアートは異なる錆び方をした缶が積まれたものでした。震災を伝えるのに、被災した物を残したり、被災者が語り伝えるだけでなく、アートで伝える方法もあるのだと学びました。



南三陸町ワイナリーでは、東日本大地震でボランティアをしていた方が移り住んで経営されていました。ボランティアからこんなことにまで繋がるのかと驚きました。



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南三陸ホテル観洋の語り部バスでは、ギリギリ被害に遭わなかった家などを見ました。これから、さらに大きな津波が来る可能性もあるのに、まだそこに住み続けるのはその土地が大好きだからなのか、引っ越すのに経済的なお金がないからなのか、どのような理由なのかが気になりました。話を聞いている限りでは、もし私がその場にいたら、そこに住み続けるのはかなり怖いと思いました。



旧向洋高等学校では、3階に流されてきた車がありました。車が流される映像は見たことがあるが、実際にその車が3階にあることに衝撃を受けました。津波の威力が改めて実感できました。



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ケアハウス、ソレイユの丘では、前気仙沼市長の鈴木昇さんとトミ子さんにお話をしていただきました。トミ子さんは実際に津波にのまれたがなんとか命を救われたお話を、昇さんは何度も市長選挙に挑戦したお話をしてくださいました。自分がやりたいと思ったことには、やりたいと思った時に挑戦することが大切だと学びました。



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オイカワデニム工場では、及川洋社長からメカジキジーンズなどのお話をしていただきました。メカジキジーンズは、東日本大地震の時に避難所として工場を使っており、その際の漁師の方とのお話がきっかけでつくったと知りました。漁師の方がメカジキの突き出た口は捨てると言った際に、及川社長は「捨てる」という言葉にひっかかったとおっしゃっていました。ただ避難所で話していた何気ない会話から、1つのジーンズができることに大変興味を持ちました。



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kibochaでは、震災の跡地を利用して前向きな活動をされていて、楽しく震災を伝えていく場所があることは必要だと感じました。



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東松島市の野蒜駅舎では、新しい野蒜駅は高いところにつくられ、駅前には住宅があり多くの人が住んでいると教えていただきました。また、最近の地震では避難した人が少なかったということもお聞きしました。東日本大地震の教訓は被災地でさえ忘れられているのだと感じました。



閖上の記念碑では、周辺には高い建物がなく、どこに逃げるのだろうという疑問を持ちました。現在は住宅が建てられないようになっているが、当時そこに人が住んでいたと思うと、多くの人の命が奪われても仕方がない環境であると感じました。また、震災が起きる前から住宅を建てられないようにしておけば、どれだけの人が助かったのだろうと思います。



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