気仙沼市復興祈念公園・オイカワデニム 訪問 / デシャン教授親子と過ごした3日間(4・終)

執筆者 亀井ゼミ3年 ゼミ長 村田悠人

2.2日目

ⅲ.気仙沼市復興祈念公園

10月31日、日仏共同討論会の後,気仙沼市復興祈念公園を訪れた.気仙沼市復興祈念公園は,東日本大震災の記憶を後世に伝え,復興を祈念する場所として2021311日(木)に開園した.公園内には,世界中の方々の想いが結集した「祈りの帆(セイル)」がシンボルとして創られた.それは船の帆の形であるが,人と人とが手を合わせているようにも見えるように作られている.そこでは,地域住民の方だけでなくいつでも誰でも追悼の気持ちを寄せることが出来る場所としてたたずんでいる.公園では当時の津波とそれによる炎の往来の様子も教えていただき,とても心に刺さった.このように災害の記憶を決して絶やさないように創られたシンボルは,被災した人でなく我々のような他地域の人にも伝承することができる素晴らしいものであると感じた.

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「祈りの帆」にて手を合わせお祈りするデシャン教授親子と亀井教授



3.3日目

ⅳ.オイカワデニム見学

研修最終日,市長,元市長にお会いさせていただいた後,オイカワデニムに再度訪問した.工場で洋さんと再会し,デシャン教授親子と工場を再び見学した.デシャン教授も工場の様子にとても興味をお持ちで,メカジキの角にも感心されていた.東日本大震災という,私たちも実際に体験しておらず,つい一月前にゼミで調査研修に訪問した時に現地の人たちに深く教えていただいたことに,今度はフランスのお二人が肌で感じているという状況に対し,筆舌に尽くしがたい想いが込み上げた.

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及川洋さんとの対談と工場見学の様子 / メカジキジーンズの素材となるメカジキマグロの角を手にする及川洋社長

ここで,オイカワデニムの奇跡のジーンズについて書こうと思う.東日本大震災の津波によってオイカワデニムの倉庫にあったジーンズは流された.しかしその後,見つかった40本ものジーンズは,津波に流され海水や瓦礫にさらされ続けたにも関わらず,一本も糸のほつれも無かった.それらのジーンズが「奇跡のジーンズと」呼ばれるようになり,復興のシンボルとなり,多くの人々を元気づけた.そんな奇跡のジーンズを,9月のゼミでの調査研修に引き続き拝見させていただいた。触らしていただいたが,とても丈夫で今でもなおしっかり使用できる状況だった.デシャン教授も初めて実際に見て感心していらっしゃった.日仏講演会では,奇跡のジーンズの一本を持っていられる鈴木さんがいらっしゃって,デシャン教授とも対面されていた.


日本という小さい国の一部で起きたことに,世界がより注目するきっかけとなったことを目の当たりにしているような気がした.デシャン教授と亀井教授のように,日仏共同で発信することで,小さな町で大きなリスクを取って新たな事業に踏み出した経営者の勇ましい姿がより広く知られることを考えると,素晴らしいことだと思う。とても憧れる.ここでもまた,異文化・アート・決断に触れることができた.

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オイカワデニム の社宝として保管されている奇跡のジーンズの一本

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当時ご自身が見つけられた奇跡のジーンズの一本を履いてこられた鈴木さんと記念撮影



4.最後に

デシャン教授親子と東京駅でお別れした。最後まで笑顔でお送りしていただき,絶対いつかまたお会いして,今度はフランス語で話すことができればどれだけ楽しいかと思った。この壮大な出会いを大切にしたい。

今回,気仙沼研修という遠方研修で多くを学び大いに感性を磨くことが出来た。不安が多くあり,どうなるかと思っていたが,経験している最中はそんなことより,多くを吸収したいという気持ちが強かった。フランスの教授とお話させていただくことも,市長と面会させていただきご意見をいただくことも決して簡単に体験できることではなく,それを経たことで間違いなく自分は少しでも成長できたと思う。及川秀子さんにも及川洋さんにもお会いさせていただくのは2度目だが,大きな決断を経験され,普段から世の中をより良くするにはどうすれば良いか考え続けている人からはやはり強い刺激を受ける。

普通に生活していたら滅多にできないであろう貴重な体験をさせていただいたことを心から感謝し,今回の調査研修をこれからの自分の人生に繋げられるよう常に意識していきたい。