東北研修・荒浜小学校

亀井ゼミ4年 吉田 沙弥香

最終日は荒浜小学校へ行きました。

荒浜小学校は、津波が二階まで到達し、児童や職員、住民らが四階、屋上へと避難しました。一番記憶に残っているのは、「多くの住人の方が小学校へ避難してくるが車に乗ったままだったり、外でお喋りしている方がほとんどだった」と校長先生がおっしゃっていました。何度も大声を出し、上に避難するように声をかけたと言っていて、ほとんどの方がここまで津波はこないだろうと考えてしまっていたことが分かりました。そのような、津波は来ないと思っていた方が多かった閖上地区にその後向かいました。閖上地区では753名の方が津波で亡くなっています。

なぜ被害が大きかったかというと、1つ目は、先人の教訓が伝わらなかったことです。昭和三陸地震津波襲来の際の石碑があったが、「地震があったら津波にご用心」という言葉が伝わらなかったとされています。伝わらなかった理由には二つ目にも関係していると考えられます。

2つ目が、津波は来ないと考えられていたからです。チリ地震の津波の際には閖上には来なかったため、今回の東日本大震災の際もっこないだろうと思い込んでしまっていたからでした。

3つ目は、避難所にいたにも関わらず、津波到達までは1時間ほど要していたため、避難したけどもう来ないから自宅に帰る方がいたとされています。

4つ目が、防災無線が機械の故障で放送されなかったことです。地震による故障ではなく、単なる施設側の故障であり、運悪く地震が発生してしまいました。そのため、津波の状況や避難情報が共有されなかったのが原因だとされています。

名取市震災復興伝承館に行った際に、津波50㎝程が来た際、ドアを開けるにはどれほどの力が必要なのか試す場所がありました。ニュースなどで津波50㎝と言われると歩けるし、水たまりだろうと考えがちであるが、実際にドアを開けるのも両手で力いっぱい押さなければ開けることができず、また、波が打っていると考えると少しの津波でも体を持っていかれるほど恐ろしいものだと実感することができました。

4日間、たくさんの被災地を周り、考えさせられましたが、「津波てんでんこ」自分の身をみんなそれぞれが最優先し、それぞれが逃げる。また、万が一を考えて行動することの大事さを学びました。自然の流れに逆らうことはでいないけれど、どうやって共存していくのか、自分に地震が来た時には、真っ先に避難し、また周りの方をも引っ張って避難していけるように、常に災害に備えて生活していきたいです。また、風化させないためにも、自分自身がしっかりと今回4日間仙台で見たもの、聞いたもの、考えたことを忘れずに、これからも生活していきたいです。今まで映像などで災害について学んできましたが、実際に被災地を見て、そこで初めて津波の恐ろしさ、決断の大事さを考えさせられました。また地震が起き、災害の被害により困っている地域まどがあったら、その時はボランティアとして助けたいと思うし、自分が被害にあっても、冷静に判断できるように、様々な決断について学びもしもの時に、自分の判断を信じて行動できるようになりたいです。

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さあ、これから東北研修 仙台空港にて