安全の答え

こんにちは、菅原ゼミで渉外と議事録を担当している橋爪です。

ゼミブログ第1回目のテーマが「安全と私」ということなので、「私が安全に対して考えていること」を書いていこうと思います。

初めてこのテーマを知った時、なんだこの難しいテーマは!と正直思いました。というのも、社会安全学部に入学して、色々な講義を受けてみると、「安全」という言葉がいかに難しいものなのかを知るからです。昔は、「安全とは何ですか?」と聞かれれば、ただ「危険じゃないこと」と答えていたと思います。しかし、安全について少し勉強してみると、「危険が全く無い状態なんてありません」と言われたり、分野ごとに安全の考え方が違ったりしていて、どんどん「安全」が難しいものに感じるようになりました。

勉強をしていると、最もよく耳にする国際的な安全の定義は「許容できないリスクがないこと」ですが、許容できる範囲は人によっても異なるし、リスクという言葉も単純に日本語に訳せないような複雑な言葉で、「安全というのは、なんだか答えのないもの」と感じさせる定義だな、とこの定義を見る度に思います。

私は、「安全とは何か」という問いに対して、明確な「答え」が無いということは、良いことだと考えています。ハッキリとした答えが無いから、多くの人がずっと「安全」について探っていて、その過程でより高水準の安全が生まれるのではないかと思います。安全の答えがわかってしまうと、安全について考えることがストップされてしまい、それが何か危険へと繋がっていってしまうのでは無いかと思います。安全について少し知って、「安全について考え続けること」が重要だなと思うようになりました。

ちなみに、私は最近安全について考えてみて、人々が「自分を好きでいること」は安全の重要な構成要素のひとつなのではないかな、と思いました。何もせずに自分を好きになるのは難しいので、自分を好きになれるように、何かに対して一生懸命努力してみようと最近考えています!

↓全く写真を撮らないので、だいぶ前に行った鳥取県砂の博物館での写真を載せます。こういうのを見ると、指を突っ込んでみたくなるタイプです。

写真3