被災の街を歩く ―阪神・淡路大震災から23年目の神戸市長田区のフィールドワークより ―セクション2

その後、JR鷹取駅南側の「野田北部」という地域に向かい、「野田北部まちづくり協議会」会長の河合節二さんに地域を案内してもらいながら、お話を伺いました。


この地域は、地震後の火災で9割が焼けてしまいましたが、震災前からまちづくり活動を行っていたこともあり、震災後、地域の住民が独自に「災害対策本部」を設置し、住民主体の災害対応が行われました。

まず、私達は河合さんにJR鷹取駅の近くにある「大国公園」に案内してもらいました。


写真1「大国公園」

大国公園は震災の1カ月前に完成したばかりでした。

野田北部地域では火災の被害も大きく、木造住宅密集地や商店街で発生した火によって焼失地域が拡大されていきました。

しかし、公園の広いスペースと周りに植えられている樹木のおかげで延焼を食い止めることができたそうです。この公園は、延焼を防ぐだけでなく、救援活動の拠点としても活用されたそうです。


写真2「焼け跡が残る樹木」

この公園には、写真2のように、火災の焼け跡が残る樹木や照明灯がそのまま残されています。

また、震災モニュメントが設置されており、当時の被害の様子を目で確かめることができます。


写真3「震災モニュメント」


この公園は、現在も緊急時の避難場所として使われているほか、平時はお祭りや子どもの遊び場として活用されています。一見普通の公園に見えますが、じっくり公園内を見て回ることで、震災当時の状況を知ることができ、とても勉強になりました。

(文責:藤森海斗)