阪神・淡路大震災から26年目のKOBEを歩く―神戸市長田区・新長田駅南の商店街編―

 戦災も震災も免れた「駒ヶ林地区」を散策したあとは、長田の商店街エリアを散策しました。ここではとくに被災を免れた商店街の現在の状況や歴史について、平井・玉置・蓮川さがご紹介します。

 六間道商店街は、商店街エリアに入って最初に訪れた商店街です。商店街の入り口には「ろっけんみち」という大きな看板、また商店街全体にアーケードがあります。整備がしっかりとされていて、きれいな商店街という印象を受けました。

 しかし、商店街に入ってみると、人通りは非常に少なく、静けさを感じました。テナントも利用客も少なく、シャッター商店街のような印象を受けました。

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震災を免れた六軒道商店街

・六軒道商店街の歴史

・大正時代に駒ヶ林と兵庫を結ぶ主要道として、人や荷車が多く往来し、次第に商店が建ち形成された。昭和にかけて栄え、戦後も焦土と化した中で六間道は焼け残り、近隣から「六間道へ行けば何でもある」と人がさらに集まるようになった。

・昭和30年代頃になると、新開地・三宮が発展し、六間道だけの時代が終わり、交通条件の不利も目立ちはじめ、人通りが減少する。さらに、直接的な被害はなかったものの、阪神淡路大震災の影響で43あった店舗数は25店舗に減少した。


・店舗数は少なく、シャッター商店街のような印象だったが、横山光輝氏のゆかりの地であることから、「三国志」を用いたまちおこしが行われ、三国志の町として多くのファンが訪れる商店街となっている。

参考:三国志のまち、六間道五丁目商店街公式サイト

https://rokkenmichi5.com/

 続いて、丸五市場と呼ばれる、震災以前の様子がほとんどそのまま残っている商店街へ行きました。狭い通路に多くの店や屋台が入るスペースがあり、昔ながらの風景を感じることができます。

 しかし、こちらも六間道商店街と同様にシャッターが閉まっているテナントが多く、コロナ禍ということもあってか、あまり活気が感じられませんでした。

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丸五市場

・丸五市場の歴史

・大正11年に創立された丸五市場ですが、将来の市場発展のために、平成6年に協同組合を設立した。

・協同組合成立から約半年後、阪神・淡路大震災に見舞われる。しかし、震災当日、市場が休日だったため、火災による倒壊を逃れ、ほぼ現状のまま営業を再開することができた。

・そのため、地域の人達へ食糧供給が迅速におこなえるように、商店主らがお互いを支えあい一丸となって市場の再建とまちの復興に乗り出した。

・昭和30年代~昭和40年代の丸五市場には130以上の店舗が存在するという規模であったものの、以降は後継者不足などから、2017年時点では11店舗にまで減少している。

・さらに神戸市消防局は火災の際、延焼の可能性の高い商店街のひとつとして丸五市場を認定しており、空き店舗の多さや人手不足からも、防災組織の強化は困難になっている。

参考:丸五市場(丸五市場事業協同組合)へようこそ!☆神戸市小売市場連合会☆

https://ichiba-kobe.gr.jp/

・フィールドワークで感じた疑問点

・災害時に避難した住民が長田区に戻ってこなかったことが影響している?

・商店街に活気を取り戻すためにはどうすればよいのだろうか?

・住民、事業者の商店街に対する印象


避難者が長田に戻りやすい環境づくり、人々のつながりや地域と人々のつながりを戻すことができる地域づくりも復興として大切なことなのではないかと感じました。