カリキュラム

教員エッセイ

第55回その後のコロナ禍

商学部教授  杉本 貴志(流通専修)

 新型コロナ騒動も落ち着き、世間では経済活動や社会生活が以前と同じように営まれるようになった。全授業を遠隔授業化するといった多大な影響を受けた大学においても、教室での対面授業が復活し、課外活動も通常通り行われるようになり、コロナは過去の話だといえるようなキャンパスの光景が戻ってきたかのようである。

 しかし、おそらく大学の教員であれば誰もが、"コロナ前" と現在との大きな変化に日々遭遇し、悩み、向き合い、嘆息しておられるのではないだろうか。

 コロナを経て、学生達は様変わりしてしまった。かつては選抜試験を行って参加者を絞り込まざるを得なかった留学や資格試験のプログラムへの応募者が激減し、実施を取りやめるものが続出している。文系学生の大学生活後半といえば、「ゼミ」に入り、少人数教育のもと、学友や師とともに、卒業論文を書く勉強に勤しみ、ときには酒場で語り合い、数知れない思い出をつくって卒業するというのが定番のコースだったと思う。しかし今やゼミに入ることを拒む学生が激増し、定員を確保できないゼミが続出している。

 ゼミに入ってきた学生たちを見ても、乾杯という習慣を知らないとか、「400字以内で記入しなさい」と指示があるのに40字しか書かず、白紙だらけの書類を提出するとか、学生同士で話し合いをして物事を進めることが全くできないとか、「毎日登校し、同級生に囲まれつつ、教室で教員の指導を受ける」という経験を高等学校や大学の低学年時に十分に積んでいない人間はこのようになってしまうのか、と仰天する毎日である。

 彼らに責任はないだろう。しかし、まるで中学生を相手にしているようで、今までの手法は全く通用しない。どうすればいいのか。大学教員のコロナ禍は現在進行中である。

『葦 2024.№188 夏号』

2025年01月24日更新
※役職表記は、掲載当時のものです。

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