カリキュラム

教員エッセイ

第1回ゼミナールの意義とは

商学部教授 学部長 廣瀬 幹好(マネジメント専修)

ゼミナール(演習)について、ある辞典では、「大学の教育方法の一。教員の指導の下に少数の学生が集まって研究し、発表・討論などを行うもの」とある。
起源はドイツにあるようで、多人数を対象としたあるいは一方的な講義方式では行ない得ない専門的研究を進めるために、選抜された学生と教員に対し、特別に政府が支援して始めた制度であると言われている。わが国もこれに学び、明治期頃に導入したとされている。
その特徴は、専門的研究を進めるために不可欠な、少人数のクラス規模とコミュニケーションの重視(双方向の授業方式)にある。
現在、関西大学商学部に学ぶ学生はおよそ3500人いる。彼らが履修している授業のどれくらいの割合が、少人数でコミュニケーションを図ることのできる授業だろうか。
専門科目のみを例にとってみておく。まず、「基礎演習」が一年次の必修科目の一つとして、春学期に置かれている。一クラスおよそ30人程度を専任の先生が担当する。高校までのようにきめ細かくとはいかないが、これは担任制度である。
授業の獲得目標と教える内容について何度も議論してきたが、今のところテキストを作成するまでには至っていない。商学の各分野の導入教育というよりも、大学での学びの導入教育として位置づけている授業である。
次に、2年次の後期に「演習」という科目を置いている。これは必ず履修しなければならないわけではないが、多くの学生が履修を希望する。クラス規模は原則15人、最大で17人に制限している。
商学部の専任教員の定員はおよそ40人であり、国内外への長期出張の先生が常時3~4名いるので、「演習」担当者は毎年、37~38名である(商学部では「演習」と名のつく授業は、原則として、「基礎演習」も含めて専任以外は担当できない)。
以上の制約から、「演習」の履修可能な学生数は600名に満たない。1学年の学生数が800名弱なので、いくぶん門は狭い。もちろん、必修科目ではないので、皆が「演習」に応募するわけではない。
この授業では、専門科目の勉強の動機づけと、自ら主体的に学習・研究する訓練をする。そういうことを望まぬ学生は、履修すべきではない。
付け加えておくと、この「演習」は半年間で完結し、次に述べる「専門演習」に接続するものではない。
3年次生のためには、「専門演習」が置かれている。これが一般にイメージされている「ゼミナール」であり、原則的に4年次まで継続し、卒業論文を作成して、研究を完成する。それゆえ、4年次のゼミナールは「卒業研究」と名づけられている。定員は15名、最大17名である。
さすがに3年生になると学生もかなり大人になる。知識の量も増え、教員とのコミュニケーションもとりやすくなる。流通、ファイナンス、国際ビジネス、経営、会計の各分野でゼミナールが開かれるが、成長著しい学生も数多く見られる。3年生が大学時代で一番輝いているようにも見える。
個々にはかなりの成長をみせる学生ではあるが、ゼミナールという協働体の運営となるとなかなか難しく、教員の指導力が試されるのが現状である。授業中、活発な議論(コミュニケーション)がなかなか行なわれないのである。自分が中心になって集団をまとめるのは骨の折れる仕事であるからだろう。指示待ち状態が少なからずあり、ゼミナールの運営の気力が薄れることもある。
それでも、学生を信頼し、我慢してみていると、学生たちもそれなりの努力を示し、やはりゼミナールは大切なのだと思うのが常である。
しかし、多人数講義の規模を縮小し、レポートを何度か作成してもらうようにして双方向授業方式を導入すれば、このようなゼミナールをやめても教育効果が上がるのではないだろうか、と思うこともままある。
とはいえ、ここは日本。「絆」を重視する国民には、ゼミナールはなくてはならないものなのかもしれない、とも考えてしまう。

『葦 №135号』より

2007年11月13日更新
※役職表記は、掲載当時のものです。

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