KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

片岡愛之助さん×前田裕学長
最先端の傾奇者(かぶきもの)であり続けるために

文化・スポーツ

上方の伝統を継承し、新たな歴史を創造する

/歌舞伎俳優・片岡 愛之助(関西大学客員教授)×関西大学 学長・前田 裕



 6月5日の大学昇格100年を目前に、400年以上の歴史を持つ歌舞伎の未来を担う花形役者の一人、片岡愛之助さんを関西大学梅田キャンパスにお迎えし、前田裕学長と対談を行った。歌舞伎俳優と教育・研究者。全く異なる分野ながら、上方文化への愛着と振興を願う思い、変化への挑戦を厭わない覚悟と気概、次代へ伝統を継承する使命感などについて語り合った。

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100年前、関大生は道頓堀で歌舞伎を観たか

前田
 関西大学は大阪で開校した大学で、136年の歴史があり、1922(大正11)年に大学に昇格して今年で100年を迎えます。関西大学は大阪に育てられた大学ですので、大阪の文化遺産を研究し、大阪文化の発展、振興に寄与したいという思いは特に強く、大阪松竹座が完成する以前の大阪・道頓堀の街並み「道頓堀五座」※1 の復元CG映像の制作なども行ってきました。
愛之助
 先ほど映像を拝見しました。驚きました。あの時代の道頓堀を本当に歩いているような気分になって、こういうことだったのかと、その世界に浸りました。
前田
 ちょうど関西大学が大学昇格を果たす、少し前の時代の道頓堀を復元したものですので、当時の関大生も、この芝居小屋に観に行っていたのかもしれませんね。
愛之助
 道頓堀五座に数えられた朝日座、角座、中座にも、実は出演したことがあります。しかし、今は五座すべてが形態を変え、姿を消してしまいました。明治時代当時の道頓堀をもちろん私は知りませんが、装いを新たにしながら、伝統を引き継いできた劇場の舞台に立ったことがある身としては、このような形で復元していただくことは大変ありがたく、うれしかったです。
前田
 そう言っていただけると良かったです。当時、道頓堀で上演されていた歌舞伎や文楽など上方の演芸文化が、脈々と現在まで伝わっていることを、より多くの方に知ってもらうため、これからも研究を続けていきたいと考えています。
 さて、ご縁がありまして、今回、関西大学の客員教授をお願いすることになりました。
愛之助
 お話をいただいてとてもうれしかったのですが、本当に私でいいのかなと、実はすごく悩みました。
前田
 各界でご活躍されている方々を客員教授として招聘していますが、大学としては、若い学生たちに知識や情報だけではなく、"思い"を伝えていただける方にお願いしたいと考えており、強い思いを持ち、伝統芸能を守り続けていらっしゃる片岡愛之助さんにぜひお力添えをいただきたいと、この度ご依頼させていただきました。
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※1 CGによる街並み復元映像「道頓堀五座の風景」
関西大学大阪都市遺産研究センター(現・なにわ大阪研究センター)が、1923(大正12)年に松竹座が完成する以前の道頓堀の街並みを2012年にCGで復元。道頓堀界隈は江戸時代から、道頓堀五座と呼ばれた芝居小屋(浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座)や芝居茶屋が立ち並び、にぎわっていた。

伝統を明日に継承、今日の新作を未来の古典に

愛之助
 歌舞伎に対する"思い"ということでお話しさせていただきますと、私は歌舞伎の家に生まれた者ではございません。実家は堺市にある船のスクリューを製造する会社です。鉄工所と歌舞伎、全く違う分野ですが、実家の父が子供同士の触れ合いのためにと松竹芸能の子役オーディションに応募したのが、私の歌舞伎俳優人生の始まりでした。それが6歳ぐらいの頃でしょうか。初めは舞台やテレビドラマに子役として出演していましたが、初めて歌舞伎のお仕事をいただいた時に、歌舞伎が大好きになってしまったんです。
 子供ですから、もちろんストーリーは分かりません。でも、顔を白塗りしていること自体が面白く、舞台の「盆」が回転したり、上がったり下がったり、立ち回りでとんぼ返りしたり、宙吊りで飛んだりするのを見ているだけでも楽しくて。テーマパークに来たような感じですね。その頃から今までずっと歌舞伎が好きなんです。
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愛之助さん8歳の頃。『与話情浮名横櫛』の楽屋にて
愛之助
 伝統芸能である歌舞伎には、成駒家さんには成駒家さんの、うちなら松嶋屋、片岡家に伝わる家の「型」があります。それを後世に伝承することは絶対にしなければいけません。それが歌舞伎俳優としての大前提です。大前提を踏まえた上で、例えば三谷幸喜さん作の『三谷かぶき』や漫画『ONE PIECE』、『NARUTO-ナルト-』など、新しい演目を生み出しています。私たちが手掛けた『GOEMON 石川五右衛門』※2 という演目では、歌舞伎×フラメンコをコンセプトに、歌舞伎俳優ではない今井翼くんにも舞台に立ってもらっています。
 実は歌舞伎は、今も昔も"現代劇"なんです。歌舞伎俳優はかつらをかぶって演じていますが、江戸時代はこれが普段のヘアスタイルだったわけです。近松門左衛門は心中があったと耳にすれば、「どうした、どうした」って聞き回って台本を書いたように、歌舞伎は当時のワイドショー的なお芝居で、高尚芸術ではなく、庶民の娯楽なんです。それが100年200年と時代を経て、今は伝統芸能といわれる古典になりました。
 そもそも出雲の阿国という人物が1603(慶長8)年にかぶき踊りを始めた時、「あの人たち、傾(かぶ)いているよね」と噂されたところから歌舞伎が始まりました。ですから、時代の最先端で"傾いていること"をしている人たちが"傾奇者(かぶきもの)"であって"歌舞伎"なんです。私たちが今やっている歌舞伎がさらに100年、200年経つと古典になっているかもしれません。そのような作品を残すことも、歌舞伎俳優の使命だと思っています。明日、未来へとつながっていくと思いながら、新しい作品を創作しています。
 そしてご存知のとおり、歌舞伎は大阪・上方の発祥です。義太夫も文楽も上方のものです。それが江戸へと下ったわけですが、今では歌舞伎といえば「銀座の歌舞伎座?」と多くの方がイメージされますよね。私個人の意見としては、とても悔しい。私は祖父・十三代目片岡仁左衛門、師匠である父・片岡秀太郎の背中を見て育ってまいりました。十三代目は京都に居を構え、父は関西大学にほど近い千里山に居を構えています。私も上方に居を構え、あくまでも東京は出張で行っているというスタンスで、これを貫いてこそ、上方歌舞伎を全うできるのではと考えています。今回、関西大学さんから客員教授のお話をいただき、同じ上方ですからありがたく思っています。
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十月花形歌舞伎『GOEMON 石川五右衛門』/2021年(写真提供:株式会社LAKインターナショナル)
※2 大泥棒・石川五右衛門が実は赤毛でスペイン人の血を引いているという奇抜な設定の新作歌舞伎。2011年、徳島県・大塚国際美術館「システィーナ歌舞伎」で、主演・片岡愛之助さんで初演され、その後も東京・大阪で再演を重ねる人気作。
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『三谷かぶき 月光露針路日本風雲児たち』(左が愛之助さん)2019年(写真提供:松竹株式会社)
シネマ歌舞伎『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』
2022年8月12日(金)~8月18日(木)なんばパークスシネマほか全国にて上映(製作・配給:松竹)
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大阪松竹座の前で展示された「道頓堀負けへんで!アートギャラリー!」のお披露目式/2020年

幼少期に感じた"好き"が、今に続いている

前田
 愛之助さんの半生、歌舞伎に対する思いをお伺いし、子役の頃から歌舞伎に魅せられてというお話には、私たち研究者と通ずるところがあると感じました。本学には約800人の専任教員がおり、それぞれが専門の研究領域を持っています。私は人工知能、ニューラルネットワークが専門です。なぜ研究しているのかといったら、やっぱり好きで、面白くて、何時間でも没頭できるからですね。
愛之助
 いつからお好きだったんでしょうか?
前田
 私も小学校の高学年から中学生の頃です。ラジオや無線が好きで、海外の放送を聴くことが楽しく、一体どんな仕組みで受信できるんだろう? と興味を持ち始めました。それが今の仕事につながっています。
 傾くということは、変えるということですね。その時代にはないもの、新しいものを作り出していく。そして時代が変わり、伝統になる。伝統になるけれど、そこで止まるのではなく、さらに変化を続けていくという、歌舞伎の本質をお話の中から知ることができました。
 研究・教育の世界も全く一緒で、まだ明らかにされていない分野を探究したいとか、今とは違うものを生み出したいという思いがないと、未来につながりません。
 先日、大学院博士号の学位授与式がありまして、授与される皆さんに「皆さんは博士号を取得するという成果をあげましたが、研究に終わりはありません。今が始まりであって、研究は永遠に続きます。これが今お渡しした学位記の意味です」とお話ししました。
愛之助
 私たちも先輩方から言われました。正解も終わりもない。だから一生、精進、修行だと。
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弟子たちに基礎稽古をつける様子を再現

変化する学び。次世代の大学教育

前田
 大学教育も新しい時代に対応し、どんどん変化しており、本学でもDXによる次世代の教育システムを導入しています。その一例として、セミナー、授業の動画をご覧ください。2022年2月に実施した「Kansai University Business Camp 2021」というオンラインプログラムと遠隔授業の様子で、VirbelaとZoomというアプリケーションを併用し、海外の学生と関大生がリモートで協働しながらビジネスプランを作成したり、授業を受けています。
愛之助
 大学の授業には憧れもあります。これは想像していたものと違って、ずいぶん自由な雰囲気ですね。
前田
 ご覧いただいたこの次世代型のプログラムでは、仮想空間で教員も学生もコミュニケーションを取ります。アバターで自分を表現し、その世界への没入感を利用することで、少し内気な人がアクティブになれたり、時間的・空間的な制約をなくすことで、より活発なディスカッションを期待することができます。
 複雑化する時代、授業だけではなく、大学教育全体がいろいろな意味で変わっていかないといけません。歌舞伎は伝統を守りつつ、新しいものを取り入れ、それをビジネスベースでも成立させています。分野は異なりますが、学ぶべきものがあると感じています。
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芸は盗め。引き出しの多さが役の幅を広げる

前田
 ところで、私は電気系の研究者ですので妙な質問になるかもしれませんが、一つのお芝居を作り上げる時は、それぞれの役者が稽古で身に付けてきた所作を組み合わせて、作り上げるのでしょうか? つまり機械に例えると、それぞれの部品としての所作を組み立てて出来上がるのか、それとも演目ごとに固有の所作や段取りを毎度身に付けて舞台に臨むのでしょうか?
愛之助
 それは両方ですね。基本の動きを分かった上で、応用するということです。そのためには、引き出しをいくつ持っているかが重要です。強い二枚目、弱い二枚目、敵役、隈取りをした人間、化け物など、多様な役を演じる引き出しを持っていないといけません。歌舞伎の場合、それぞれの役には決まりごとがあり、ある程度の型が決まっています。演目に応じて引き出しを開け、その物語に合わせて臨機応変に変えていきます。
 その引き出しをどうやって増やすのかというと、誰かに教えてもらうのではなく、先輩のお芝居を観て盗むんです。芸はいくら盗んでも罪にならないから盗みなさいと言われます。ただし、盗んだものを自分自身で体現できるのは、稽古しているからこそ。だから、日々の修行・精進が大事なんです。
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自分の個性を「型」で表現

愛之助
 江戸歌舞伎は型を重視しますので、九代目市川團十郎が作った型で、ここは左足からとなれば、必ず左足からと決まっています。対して、上方歌舞伎は型がないと言われています。この「型がない」という表現では、自由にやっているから型がないと思われるかもしれませんが、細かく見ると、これは仁左衛門の型、これは愛之助の型と、役者が個性を生かして作った型が存在しているのです。
前田
 研究者の世界でも、一つのテーマを深く熱心に追求していると、個性を認めてもらえ、学会でも一目置かれるようになります。ただ、我々の世界では、他の人の研究を盗むことはできません(笑)
愛之助
 私たちは師匠から教わった時、ともかく最初は教わったことをそのまま再現しないといけません。しかし、再び演じる時に、そこに自分の考えがあれば、師匠は左足から出したけれど、自分は右足を出そうと、型を変えてもいいわけです。ただ、人それぞれ好みがあり難しい世界ですので、思い付きで変えるのではなく、やはり確固たる裏付けが必要ですね。
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自信を持って世界に発信する上方歌舞伎

前田
 本日は本当にいろいろなお話を聞かせていただきました。最後に今後の抱負をお聞かせください。
愛之助
 やはり私は上方歌舞伎の一端を担っていく者として、上方歌舞伎の魅力をもっと皆さまに知っていただきたい。そして、歌舞伎自体をご覧になられていない方々、特に若い方に観ていただき、自信を持って「我が国にはこういう文化がある」と世界に発信してもらいたいですね。
 さらに大きな夢としては、上方といわれる地域で、今月は大阪 松竹座、来月は豊岡市の永楽館というように、毎月どこかで必ず歌舞伎が上演されているような時代が来てほしいと願っています。
 私は例年10月に松竹座で1か月ほど公演を打ちますが、次の公演では、全く見たことのない、新しい歌舞伎をお披露目します。歌舞伎ってこんなに分かりやすかったのか、こんなに面白かったのかと、学生の皆さんにもきっと楽しんでいただけるものになると思います。
前田
 国際部では留学生に日本文化を体験してもらうイベントなども実施していますが、ぜひ留学生にも観ていただきたいですね。
愛之助
 劇場ではイヤホンガイドを利用していただくと、作中の人間関係から、衣装やかつら、その場面の見どころなどをタイムリーに説明してくれるのでおすすめです。もちろん英語版もあります。
前田
 歌舞伎にはさまざまな楽しみ方があるのですね。本学で客員教授としてお話しいただけることを、改めて光栄に感じています。愛之助さんの今を変える、次代につなぐというエネルギーは今の日本社会にも必要なことですね。ぜひ学生たちにその思いを伝えていただきたいです。
愛之助
 頑張らせていただきます。
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出典:関西大学ニューズレター『Reed』69号(5月31日発行)
片岡 愛之助 ─ かたおか あいのすけ
1972年大阪府堺市生まれ。1981年十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、『勧進帳』の太刀持で片岡千代丸を名のり初舞台。1992年片岡秀太郎の養子となり、六代目片岡愛之助を襲名。歌舞伎以外での活躍も目覚ましく、主な出演作にドラマ『半沢直樹』『鎌倉殿の13人』、映画『七つの会議』などがある。2008年三代目楳茂都扇性を襲名、上方舞の楳茂都流四世家元を継承。著書に『愛之助日和』(光文社)などがある。堺市親善大使。2022年度関西大学客員教授。