KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

ウクライナから海を越え、実を結んだ相撲の絆

文化・スポーツ

力士 安青錦新大関 (ダニーロ・ヤブグシシンさん)


 静かな土俵に相撲部員たちの荒い呼吸と声だけが響いている。夜を迎えた関西大学千里山キャンパスの相撲道場。2025年2月28日。彼らに胸を貸しているのは3月の春場所から新入幕を果たした安青錦新大(あおにしき・あらた)関。強く当たっても180㌢、136㌔の巨漢はなかなか押し出せない。部員らの顔は赤くなり、息が荒くなる。「もう一丁」。力士の声が静かに響く。2022年の8か月間、この土俵で稽古を重ねた。本名の「ダニーロ・ヤブグシシン」の名札はいまも稽古場に下がっている。春場所を機に久しぶりに懐かしい土俵を訪ねたウクライナ出身の人気力士は、土俵を下りると部員らの稽古の様子を見ながら、ときどき昔ながらの「ダーニャ」の笑顔を見せた。

「ハロー」で出会い、インスタで交流で

 関大相撲部と安青錦関の出会いは2019年。相撲の世界大会に出場するために大阪府堺市の土俵に立ったダーニャ君を見て、当時の関大相撲部の山中新大(あらた)主将=現関大職員=は驚いた。「そんなに大きくないのに、これだけ強いってすごいな」。会場を歩き回っていて、たまたま目の前に現れたウクライナの少年に「ハロー」と話しかけた。「強いね。何歳?」と英語で聞くと「15歳」と返事が来てまた驚いた。「彼も年を聞いたので英語で『20歳』、と答えたつもりだったのですが、『12歳』って聞こえたみたいなんですね。彼の方も驚いたみたい。12歳でこんなにでかいのか、と」。
 その時はインスタグラムをフォローし合って、お互いにメッセージをやりとり。相撲好きの若者同士の国際交流に変化が生じたのが2年後だ。2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が本格化した。「大丈夫?」と連絡を取った山中さんに「僕の住んでいる街は大丈夫」とウクライナ西部に住む少年は返してきた。だが数日後、「日本に避難できないでしょうか」というメッセージが来た。

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2025年2月28日に行われた体育会相撲部の稽古のようす
安青錦新大関 (左)

戦火から逃れて来日、関大の土俵に

 実は当時17歳の少年は岐路に立っていた。戦時下のウクライナの法制度では18歳になると出国が認められなくなり、戦火に巻き込まれる可能性が高くなる。「12歳から日本で力士になりたいと思っていた」彼にとってはすぐに出国しないと、夢をあきらめることになりかねない。この状況はいつまで続くか分からない。事態は切迫していた。
 山中さんは両親に相談し、家に下宿することは了解を得た。「避難してきたウクライナ人に相撲部の土俵で練習してもらう」ことを大学に相談すると、協力しよう、という声が広がり、「練習生」という立場で相撲部の稽古場を使えることになった。相談を受けた後藤大助・スポーツ振興グループ長は「主将が一生懸命で、相撲部が受け入れるなら、と話が進んだ。本人に会った時、『ありがとうございます』と丁寧にあいさつする様子が『まじめそうないい子だな』という印象が残っている」と話す。
 山中さんの家に下宿し、昼は神戸の日本語学校で授業を受け、夜は相撲部の土俵で仲間と汗を流す日々。当初は心細かったのだろう。「新大が帰ってくると、ダーニャがとたんにすごくうれしそうな顔をしたのをよく覚えている。兄弟みたいだなあ、と思った」と山中さんの家族は回想する。山中さんも「彼はまじめで相撲が大好き。ちょっと日本人的でもあって、シャイなところもある。最初は苦労があったと思う」。
 ただ相撲の強さは尋常ではなかった。当時から部員の誰も勝てなかったという。

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来日時、空港で(左)
関大相撲部での初稽古

130年の闘いの歴史、今も

 関西大学相撲部の歴史は、関大のみならず全国の学生スポーツ団体の中でも長い。まだ関西法律学校時代の1892年に創部。実に130年にわたって闘ってきた。1930年に学生出身力士として初の幕内優勝を果たした山錦をはじめ、数々の有力な学生力士を輩出した歴史がある。だが、戦後には何度か衰退期があり、廃部の危機も幾度となく乗り越えてきた。部員は現在も7人と多くはないが、懸命に大きな歴史をつなぎ、専用の土俵で稽古を重ねている。
 2022年はそんな歴史ある部が西日本大学相撲選手権で45年ぶりの1部昇格を果たした記念の年だ。強くなった部が、土俵に強い外国人少年を迎え、ともに時間を過ごした。稽古だけではなく、一緒に旅行に行き、遊んだ。少しずつ日本になじみ、さらに強くなった。
 「今もそうですが、ダーニャは体幹が強く、低く出られると相手力士は上体を起こすことができず、逆に上からはたいても落ちない。ウクライナではレスリングをしていたこともあり、そこで鍛えたことが役立っているのでしょう」と山中さんはみる。プロへの道を周囲が協力して探り、結果的に安治川部屋に縁があり入門した。2022年末には大相撲の土俵への道が開けていた。「運が良かった。もう運を使い果たしたかも」と安青錦関は冗談めかして言うが、それほど順調なスタートだった。

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千里山キャンパス相撲道場に残したサイン

春場所で初の幕内に

 力士としての「安青錦新大」の名前の半分は山中さんから取った。
 今回の稽古では部員たちに胸を貸し、「2人の新大」で談笑する場面もあったが、幕内として迎える春場所について聞くと、強い思いが口から出た。「番付が上がり、強い力士と当たる。相手が強くなると相撲はもっと楽しくなる。大阪での場所で、みんなにさらに強くなった自分を見てもらえる、とも思う」。十両昇進を記念して相撲部から贈られた化粧まわしには関西大学の校章が入っている。その紫紺のまわしが幕内土俵入りで見られる初めての場所が大阪になった。
 春場所を前に、かつての外国人少年と相撲部主将は久しぶりに神戸のスーパー銭湯に行くなど交流を持った。山中さんは言う。「あの時『ハロー』と声をかけたことが今につながっている、と思うと驚きますね。あの一言がなければこの展開はない。改めて運命というか、すごいことだなあ、と思います」。

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十両昇進を記念して相撲部から贈られた化粧まわしとともに


安青錦 新大 ─ あおにしき あらた 
2004年生まれ、ウクライナのヴィネンツャ出身。安治川部屋所属で、2023年に初土俵を踏む。序の口、序二段で優勝するなど、順調に白星を重ねて2025年度春場所で幕内入りを果たした。初土俵から9場所での幕内入りは歴代トップタイのスピード出世となった。