関西大学法科大学院

About 基本情報

概要

収容定員 120名
1学年の定員 40名
教授陣 専任教員 20名
(うち研究者教員12名、実務家教員8名)
修業年限 法学未修者:3年 (標準コース)
法学既修者:2年 (短縮コース)
開講曜日 月~金曜日の5日制
(土曜日には、補講、特別授業等を行うことがあります。)
開講時限 1~7限 (9:00~21:10)
学年暦 春学期(4月1日~9月20日)
秋学期(9月21日~3月31日)
受講者数 講義:1クラス20名程度
演習:1クラス10名程度
学位 法務博士 (専門職)

沿革

関西法律学校

1886(明治19)年11月、関西大学の前身である関西法律学校が、関西で初めての本格的な法律教育機関として誕生しました。司法省法学校を卒業して司法官となり、この時期に大阪に赴任した井上操、小倉久、志方鍛、鶴見守義、手塚太郎らが、自由民権運動家の吉田一士と協力して関西法律学校の創立に尽力しました。また、この創立にあたっては、当時大阪控訴裁判所長(後に大阪控訴院長)であり、1891(明治24)年に大審院長に就任した児島惟謙の支援を受けています。関西法律学校の初代校長には小倉久が就任し、大阪市西区京町堀の願宗寺を仮校舎として開校され、青年たちは、そこで夜間に法律学の教授を受け、勉学に励むこととなりました。

司法省法学校の一期生である井上操と小倉久は、明治政府の法律顧問であったボアソナードの講義を受けました。また、1890(明治23)年に成立した旧商法の施行の是非をめぐる商法典論争において、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)は、延期説を唱える東京商工会(現・東京商工会議所)や全国の他の商法会議所に対抗して、断行説を主張しましたが、井上操、鶴見守義、手塚太郎らは、講習会等を通じて大阪商法会議所の意見形成に大きな影響を与えました。なお、手塚太郎は、漫画家であり医学博士である手塚治虫の祖父にあたります。

1922(大正11)年には、大学令による関西大学として認可され、法学部(法律・政治の2学科)が設置されました。その後、文学科を増設して法文学部に改称した時期もありましたが、1948(昭和23)年、戦後の学制改革によって新制大学に移行した際に、再び法学部となりました。そして、1950(昭和25)年には、新制の大学院として法学研究科修士課程が設置され、さらに1953(昭和28)年には博士課程(公法学専攻)が、1958(昭和33)年には博士課程(私法学専攻)が加わることとなりました。

1999(平成11)年以来行われている司法制度改革では、国民への十分な司法サービスを提供するために、裁判の充実・迅速化や人員の拡充が必要とされ、人的基盤を確立するために、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備することが不可欠であると考えられました。その中核をなすものとして、法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールが構想され、2004(平成16)年に創設されたのが法科大学院制度です。

約90年前の1922(大正11)年、本学の総理事に選任され、翌年第11代学長に就任した山岡順太郎は、新しい大学の指導理念として、学問の社会的価値を高め、実際的な知識を取り入れることを目的とする「学の実化(じつげ)」を提唱し、この理念は、その後関西大学の学是として定着してきました。理論教育と実務の架橋を図る法科大学院教育は、まさにこの理念の実現を目指すものといえます。

関西大学法科大学院は、関西法律学校の創立以来130年以上にわたる伝統のうえに2004年(平成16)4月に創設され、すでに327名の司法試験合格者を輩出しています。

本研究科に対する評価

法科大学院は、その教育活動等の質を保証するため、定期的に認証評価機関による認証評価を受けることになっています。本研究科は、大学基準協会による認証評価を受けています。

認証マーク

自己点検・評価

法科大学院は、教育水準の維持向上を図り、かつその社会的使命を果たすため、不断に自己点検・評価することが求められていますので、この自己点検・評価活動に関する報告書を2年ごとにまとめています。

公表事項

法科大学院の教育と司法試験等との連携に関する法律第5条に基づく公表事項

専門職大学院設置基準第二十七条の七に基づく公表事項