「メロスたち」と走り続ける
関大人
高校教諭・演出家 亀尾 佳宏 さん(文学部 1999年 卒業)
2022年の「地方の時代映像祭」の市民・学生・自治体部門で優秀賞を受賞して注目された映画「走れ!走れ走れメロス」(折口慎一郎監督)。島根県の小さな町にある全校生徒約70人の三刀屋高校掛合(かけや)分校の演劇同好会の4人の高校生の挑戦を描いたこの作品で、強い印象を残すのが生徒たちを指導する顧問・教諭の亀尾佳宏さんだ。穏やかにコロナ禍の生徒たちを見守り、演劇の楽しさを教えつつ、結果を出して東京・下北沢の劇場に生徒たちを連れていく。亀尾さんの原点は関西大学で始めた学生演劇にあった。「関大での学びがなければ教師にもなってなければ、演劇もやってないと思う」と語る亀尾さんは別の高校に移り、今も演劇の指導を続けている。
「走れ!走れ走れメロス」はコロナ禍でさまざまな表現が制限されている中、演劇と映像を組み合わせて何かできないか、という話からスタートした。当初は劇映画を撮影しよう、という構想だったが、話し合ううちにコロナ禍の高校演劇部を撮ったドキュメンタリー映画を、というプロジェクトが浮上してきた。当時亀尾さんは三刀屋高校の演劇部と三刀屋高校掛合分校の演劇同好会の両方の指導者。三刀屋高校は全国大会出場経験もある20人規模の演劇部。掛合分校の演劇同好会に集まった生徒4人は演劇経験はまったくなく、ゼロからのスタートだった。でも「直感的にこっちが面白いんじゃないか」と折口慎一郎監督と亀尾さんは分校での撮影をスタートする。
映画が始まってしばらくたち、観客を驚かせるのは3人のキャストのそれぞれ魅力的な個性だ。曽田昇吾さんの声の良さ、常松博樹さんの力感のある動き、石飛圭祐さんのユニークな存在感。三者三様の個性が生かされ、わずか3人の舞台が生き生きと躍動し始める。
亀尾さんは「これ面白いのでは、と『走れメロス』を提案したのは曽田君。照明の佐藤(隆聖)君も含めて4人ともいい個性を持っていたのでそれを生かす形で劇をつくっていった。結果的に面白いものになった」と話す。生徒の個性、稽古で出てきたものをそのまま生かす、という姿勢は徹底している。映画の中の『走れメロス』の舞台で客が目を見張るのは、全キャストが「全裸体となった」というナレーションとともに上半身裸になってしまう演出。「夏場に暑いので彼らが脱いで稽古してたんですよ。その様子が面白かったのでそれを生かしました」。これには生徒の方が逆に驚いたようだ。映画には「演劇って(舞台で)脱いでええんかな」「いや、わからん」とキャスト同士が亀尾さんのいないところで不安そうに言葉を交わすユーモラスな場面もある。
コロナ禍の島根県の高校演劇コンクール地区大会は無観客で行われ、三刀屋高校が最優秀賞を獲得、分校は高い評価を得たが、県大会へは進めなかった。「両方の演劇部を指導していたので複雑な気持ちでしたね。せっかく演劇に情熱を持ってくれたのに、観客の前で上演する機会がないままに終わってしまうのが残念でした」。映画では部員らが「満席の劇場で演劇がしたい!」と叫ぶシーンがあり、観客の心を打つ。
だが亀尾さんの全国若手演出家コンクールでの最終選考進出が決まり、思わぬ形で東京・下北沢の劇場での上演が実現する。島根の山間から東京・演劇のまちに場所を移しての有観客公演。折口監督のカメラは高揚する生徒たちの表情をとらえる。
結果は最優秀賞(亀尾さんの演出する劇団「一級河川」の舞台成果も合わせての受賞)。高校生の大熱演を見た観客の反響や「面白かった」「裸が良かった」などの審査員の講評に生徒たちは満面の笑顔を見せる。
曽田君はこれをきっかけに演劇への道を探り始め、プロ俳優になろうと上京する様子を撮影した続編『メロスたち』もつくられた。亀尾さんは「長いこと演劇を指導しているが、プロへの道に進む演劇部員は少ない。まさかここまで来るとは、驚きですね」と話す。
個性的な演劇の指導には、亀尾さんのこれまでの歩みが反映しているとも言える。優等生だったわけではない。高校時代は野球部員。浪人中に演劇への夢を抱き、3浪して関西大学の第2部(夜間部)に進学。入学後は学窓座(演劇部)に飛び込んだ。演劇に明け暮れる大学生活。「ちゃんと入場料をとれる演劇にしないといけない、と先輩に文句言ったり、生意気な部員でしたね。でも本当に楽しかった」。
卒業後、故郷の島根で国語教諭になったときは「せっかくなので演劇部を指導したい、と希望しました。そうしたら空手部と演劇部の顧問兼任なら、ということで」。当時の松江工業高校の演劇部は部員1人。十分な設備どころか稽古場すらない。逆に情熱に火がついた。4年目には中国大会も突破し、全国大会に行くまでになった。
三刀屋高、掛合分校を経て現在指導しているのは最初の赴任校だった松江工高。部員も20人近くまで増え、照明など設備の整った部室に生徒たちが集まってくる。でもどこかのんびりした雰囲気だ。映画の掛合分校と通じるものがある。他地域の演劇コンクールを見てきた亀尾さんが部員を集め、報告を始める。「大変なレベルの高さでした。これはなかなかかなわないな、という感じですね。というか、いま先生が話してるのにもぐもぐ何か食べてる人がいるよね。そういうところだよね」。生徒らが楽しそうに笑う。
稽古が始まる。中国大会に向けた稽古だ。亀尾さんのつくった「お手紙かみかみ」というオリジナル脚本の上演は県大会と同じだが、さらにブラッシュアップしようとしている。リラックスした雰囲気で談笑していた部員たちの空気が演技開始を促す亀尾さんの「はい」の声で一変する。キャスト全員が舞台に一斉に飛び出す。観客を驚かす、躍動感のある劇空間の出現。だが、亀尾さんは満足した様子は見せない。「もう少しやってみよう」「こうしてみよう。できる?」「(演じてみて)どうだった?」。生徒との対話、演じ手の感覚を重視し、楽しませながら、着実に好舞台に近づいていくのがわかる。
軸にあるのは工夫された脚本だ。童謡「やぎさんゆうびん」をモチーフにした「黒ヤギと白ヤギはどっちが悪いか」という珍妙な論争が延々と展開され、観客は笑い、キャストの個性を楽しみながら、この物語には「民主主義」に関する鋭い考察が含まれることに徐々に気づかされる。12月21、22日に開かれた中国大会では最優秀賞に選ばれた。
2年生の平野晃希君は「演劇は楽しいし、お客さんから笑いが出るとうれしい。亀尾先生の台本には『よくこんなこと思いつくなあ』と思います」と話す。
「演劇と教育は親和性があると日々、実感しますね」。亀尾さんは言う。掛合分校の4人の中には目標を持てなかったり、周囲となじめなかったり、という問題を抱えていた生徒もいた。だが演劇を通じて、二度とない体験ができ、自信を持ち、次に向かう力を得ていく。映画を見ると、明らかに生徒らの顔つきが変わってくるのがわかる。
「みんな演劇やるといいのに、と思いますよ。誰もに役割があり、仲間ができ、すごい経験ができる。それが成長につながる」。「その時は楽しくてやっていただけ」と言うが、自身、苦労しながら、関西大で演技や台本作りに打ち込んだ経験がその思いの奥底にある。
「走れ!走れ走れメロス」は今も全国で上映会が続いており、好評だ。いくつもの偶然、縁がつながって「4人が経験した奇跡」をカメラがとらえた、ともいえる。一方で、亀尾さんにとっては教育現場と演劇の稽古場で自身が積み上げてきたことの一部、という面でもあるのだろう。「たくさんの人にあの映画、見てほしいですね。関大生にもね」。うれしそうに話す様子は、相変わらず穏やかだった。