日本酒造りの 可能性を追って~若い杜氏と経営者の挑戦~
関大人
/光栄菊酒造株式会社 杜氏 山本 克明 さん(経済学部 2001年 卒業)
/光栄菊酒造株式会社 取締役 田下 裕也 さん(文学部 2006年 卒業)
JR佐賀駅から車で 20分ほど。佐賀県小城市の、田んぼの広がる中に「光栄菊酒造」はある。明治時代からの歴史ある酒蔵で、昔ながらの建物の造りは風情と趣がある。
フルーティーな甘さと酸味、すっきりとした味わいが特長の佐賀の日本酒「光栄菊」。2006年の廃業後、2019年に新体制で再スタートを切った光栄菊酒造の杜氏・山本克明さんと、取締役・田下裕也さんは共に関西大学の卒業生だ。大学卒業後すぐに酒造りの道に飛び込んだ山本さんと、NHKディレクターを経て 30代で酒造会社経営に挑戦した田下さん。対照的な二人が、不思議な縁でつながり、注目される日本酒を生み出した。
日本の「伝統的酒造り」は、2024年 12月、ユネスコ無形文化遺産登録が決定。その伝統がここでも脈々と受け継がれている。
山本さんは学生時代、あまりオープンマインドになれず、一人で思い悩むことが多かった。「なんとなく経済学部に入ってしまい、自分が何に向いているのか、将来何がしたいのか。葛藤する日々でした」。そんな時に感動するほどおいしい日本酒に出会って「これだ!」と気付いた。杜氏の高齢化や担い手不足が話題になっていた時代でもあり、「日本酒にかかわる仕事がしたい」と全国の酒蔵を訪ね始めた。
それまで悶々としていた反動か、就職活動はアグレッシブなものになった。近畿圏の酒蔵を訪ね、遠方へは青春18切符で向かう。時には野宿しながら酒蔵を回った。そもそも求人がないことが多く効率は悪かったが、「せっかく来たのだから」と酒蔵を見せてくれたり、飲ませてくれたりする酒蔵があり、「勉強になった」と言う。
滋賀県の酒蔵が職人を探しており、「よかったら来るか」と言ってくれたのが転機となった。「職人になる、と思い定めていたわけではなく、その酒蔵が営業マンを探していたらまた人生変わっていたかもしれません」。人間関係や先の見えなさに悩んで、仕事を離れた時期もあったが、次の酒蔵で吹っ切れた瞬間があり、9年間で副杜氏を任されるまでになった。南部杜氏の杜氏資格を取り、次は愛知県の酒蔵で7年働くうちに、山本さんが造る酒が評判となり、ファンがつくようになった。そのタイミングで、田下さんらから声が掛かった。
田下さんの学生生活は「遊びとバイトと旅行の日々で、それなりに楽しかった」と言う。バックパッカーとして海外を歩き、インドで社会問題に目覚めた。写真好きの一面もあり、「仕事に生かせれば」と卒業後はNHKにディレクターとして就職。佐賀放送局を経て、東京で「クローズアップ現代」などの人気番組を作る部署に配属された。そして「サキどり」という経済番組を手掛ける中で、酒造会社を取材した。日本酒と言えば「関大前の居酒屋さんで悪酔いした思い出しかなく、決して得意ではなかった」と言う
田下さんだが、取材先で飲んだ日本酒に「こんなにうまいのか」と衝撃を受けた。「日本酒っていいなあ、これを仕事にできたらなあ」と、いつしか「酒造会社をやりたい」と夢を持つようになった。
「酒造りの経験もないのに、安定した仕事を捨ててまでやることか」と止める人も多かったが、奈良の有名な蔵元が「ロマンありますやん、手伝いますよ」と言ってくれたのが決定打に。新規参入の難しい業界だが、酒造りをスタートさせるため譲ってもらえる酒蔵を探し始めた。
その矢先、手伝ってくれるはずだった蔵元が急逝。途方に暮れていた時、一緒に会社を立ち上げた日下智氏(光栄菊酒造現社長)が、「山本さんが造ってくれないかな」と呟いた。若手杜氏として注目されていた山本さんの造る日本酒にほれ込んでいたものの面識はなく、引き受けてくれるかが分からなかったが、大阪で会って頼んでみると意外にも快諾。幸運にも佐賀で酒蔵を譲り受けることができ、「光栄菊」を復活させる形で、経営者への道を歩み出した。「酒蔵って代々引き継いで経営されていることがほとんどで、一から酒蔵を立ち上げる挑戦は希少。魅力的だったんですね」と山本さんは言う。
お互いに関西大学出身だと気付いたのは活動を共にするようになってからだそう。「えっ、という感じで一瞬時が止まって、本当に驚きました」。対照的な学生時代を送った二人が不思議な縁で酒造りを始めることとなった。
ところが、酒造りを始めたばかりでいきなりハプニングに見舞われる。2019年に佐賀県を襲った豪雨(令和元年佐賀豪雨)でせっかく準備した酒蔵設備が浸水してしまった。何より汚れや湿気を嫌う麴室が被害を受け、全員がくぜんとした。それでも必死の思いで設備を立て直し、この年から酒造りのスタートを切った。出来上がった新酒第一号と第二号は即完売。販売開始直後から大きな反響があった。
それから5年。多くの酒販店が特約店に加わり、山本さんの造る「光栄菊」の味わいは各地で知られ、軌道に乗ってきた。現在、職人は山本さんを含めて6人。酒蔵の仕事はきついと言われることもあるが、山本さんは先頭に立って働き、労働環境の改善などにも取り組んでいる。
酒造りの魅力について山本さんは言う。「やはりものづくりの楽しさ。微生物相手なので、機械に任せられない難しさと面白さがあります。また一人ではできないので、チームでものをつくることの良さがありますね」。
また田下さんは「思えば、学生時代の旅行やカメラがNHKの仕事につながり、NHKでの仕事が酒造りにつながり、これまでのことが今につながっている。まだ安定した仕事とは言えず不安もありますが、挑戦している今を楽しんでいます」と語った。