「できる」と信じ切ることで 未来の扉は開かれる
日本の魅力を世界へ届けるコミュニケーションの創造
関大人
/cretica universal.LLP 代表 四戸 俊成 さん(総合情報学部 2003年 卒業)
「日本のみならず世界が心待ちにした阪・関西万博が 4月に開幕した。そのオフィシャルプログラムでもあるテーマウィークで、トップバッターのイベントとなったの「JapanExpo Paris in Osaka 2025」。コンセプトディレクターを務めたのは、全世界で話題となったアニメーション映画『神在月(かみありづき)のこども』の原作・コミュニケーション監督を務めた四戸俊成さんだ。アニメーション(映画)やエキスポジション(万博)を駆使して日本の魅力を世界へ届ける─その思いを熱く語ってもらった。
「"感動"とは、"感"じて"動"くこと。その日、その場所で何かを感じたことによって翌日の動きが変わる。その行動が起きて初めて感動だと思う。そんな"感動"を届けられる仕事をずっと目指しています」。
映画『GODZILLA ゴジラ』(2014年)や『シンデレラ』(2015年)など作品のプレミア演出から、東名阪はもとより愛知県豊田市や岡山県倉敷市などの街や舞台と作品のタイアップまでの"コミュニケーション・デザイン"を手掛けてきた四戸俊成さん。
「コミュニケーション・デザインとは、商品や作品、街など魅力のあるものと、その魅力をまだ知らない人たち、その両者間のコミュニケーションを組み立てる仕事です。その魅力と出会い、興味を持ち、観たり足を運んだり買ったりしてもらうための階段作りをします」。
この仕事を続ける中で芽生えたのは、世界がまだ知らない日本の魅力を届けたいという思い。日本全国の神が出雲に集うとされる旧暦の10月を全国では「神無月(かんなづき)」といい、出雲では「神在月」と呼ぶ。島国の根と記される島根・出雲のそうした神話や伝承を題材にして、映画を企画・原作し、監督を務めた。四戸さんが目指したのは、アニメーションで日本の魅力を発信し、その場所を訪れてもらうこと。日本という島国自体のコミュニケーションへの挑戦だった。
東京から出雲へ。日本列島を横断し、少女が駆け抜けるロードムービー『神在月のこども』は2021年に全国約200館でロードショー、翌年からNetflixで全世界へ向けて配信を開始し、2025年4月時点でおよそ420万人が鑑賞するという偉業を遂げた。
四戸さんはこのコミュニケーションを進化させるべく、「観光立国」という旗印にも見合うよう、次回作は官民プロジェクトを通してより広い世界へ日本の魅力を届けたいと考えた。
経済産業省の知人に連絡を取ったところ「日本の魅力を世界に届ける」取り組みへの共感はすぐに得られた。その後、話が発展する中で、同省が主管する大阪・関西万博でのコミュニケーション・プランを求められることに。そこで四戸さんは、フランスから「JapanExpo Paris」を招致して、官民で取り組んできたCOOL JAPANを世界視点で再発見しようというアイデアを発案。自身がその推進役を担うこととなった。
「Japan Expo Paris」は、フランス・パリで毎年25万人以上を集める世界最大規模のジャパンフェス。アニメや漫画・ゲームなどのコンテンツだけでなく、食や武道・伝統文化など、日本に関する多彩な魅力を世界に紹介する総合博覧会だ。
過去に原哲夫ほか国民的漫画家から作品を預かって出展をした経験や、自身の作品を携えて出演を重ねた経歴もあり、同イベントには何度も参加していた。その際に創業者との親交を深めていたこともあって日仏共創となる難解な招致を叶え、大阪・関西万博会場での「Japan Expo Paris」日本開催を果たすコンセプトディレクターに就任した。
万博でのイベント名は「Japan Expo Paris in Osaka 2025」。公式プログラムであるテーマウィーク(世界との文化共創ウィーク)のフロントランナーとして省庁連携催事に位置づけられた。パリでのイベントに足を踏み入れた参加者は、その盛況ぶりから日本人であることに誇りを持つという。今回は日本で開催される万博において、国内にいながらも同様の体験を得られる機会にしたいという思いから、コンセプトテーマを「COOL JAPAN FROM PARIS─世界で一番日本が脈打つエキスポ初上陸」とした。
万博会場では、1万6,000人を収容できるEXPOアリーナ「Matsuri」でアーティストライブなどのショーステージを、4,000㎡のEXPOメッセ「WASSE」でブース出展やコンテンツ展示などを催した。万博最大の催事場である2会場を同時に使用する大イベントは、現時点で会期内に類を見ないという。ベースとなるコンセプトの考案に始まり、実現するためのディレクションなど、数年をかけ官民・日仏で共に実施の最終地点まで運んだ四戸さん。
当日は約6万人の観客が来場し、メディアなどの掲載は約1,300媒体に及ぶ盛り上がりを見せたが、四戸さん自身は満足し切れなかった。「今回に限らず仕事の後はいつも"悔しさ"が残ります。自分の中で時間や予算などのリミットを踏まえて"決着"がついた仕事でも、もっとできたんじゃないか、そんな気持ちで」。
しかし悔しさの中に手応えもあった。「僕たちのアニメーション(映画)と今回のエキスポジション(万博)、手法は異なるけど『コミュニケーションデザインで日本のリブランディングをする』という共通意識がありました。目指すところは同じと、覚悟を持って取り組む中で得られた手掛かりはありましたね」。
さらに万博のステージには出演者としても登壇。そこで制作発 表したのが次回作『神去月(かみさりづき)のけもの』。前作の制作時など、四戸さんは「一生に一作品しか映画は作らない」と公言していた。しかしある時、前作は主人公が自分の「好き」をもう一度信じるという物語だが、そもそも「好き」をまだ見つけられていない人や、見つけても追求できなかった人の方が実は多いのではないかと思い至った。
「その人たちが一歩を踏み出さないと世界や社会は変わらない。だから、その人たちが勇気を持って踏み出せるような、前作と表裏を成す作品を作らなきゃと思い立ったんです」。
大学時代の総合情報学部での幅広い学びは今の仕事でも生かされているという。プログラミングにメディア論、認知科学、哲学......と多岐にわたる授業。「良い意味でスペシャリストだけでなくジェネラリストも育てるカリキュラムだった。映画作りは様々 な分野を統合する総合芸術と呼ばれるものであり、万博も同樣。そのすべてに目を配る立場の自分には、大学時代の学びが自然と 生かされていると思います」。
「最後に学生へのメッセージを尋ねたところ、講演会などでいつも必ず伝えるのだけど、という前置きで「何事も"できる"と思った方がいい」という言葉をくれた。原作を手掛けることも、監督としての映画作りも、万博での国際イベント招致も、すべて初めての経験だったが、「日本の魅力を世界に届けたい」、「必ず届けられる」、と四戸さん自身が最後まで信じ続けたからこそ周りの人も同じように信じ、結果その思いは叶えられた。
作品が完成し、自分の名前が入ったエンドロールを見ながら思 い出したのは、同じ作品を何度も観たり、映画雑誌を読み耽ったりしながら、将来は映画にかかわる仕事ができたらと思うほど映画に夢中だった高校時代だったそう。
「できないと思われている世界や社会のラインを越えるには、できると信じ切ること。それが未来への扉を開ける術になります。できると信じ抜くことで何でも実現するはずです」。